2010年12月23日木曜日

中国⑦急性肝炎

ある日、朝起きると、何かが変だった。でも何がどうおかしいのか自分でも分らない。
とりあえず顔を洗おうと洗面所に向かった瞬間、みぞおちの辺りがぐらっと揺れた気がした。
で、目もかすんできたみたいで、とにかくみぞおち中心に身体がぐらぐらする。
何かがおかしい!と本能的に悟り、とにかくベットまで戻った。
運転手が7時過ぎに迎えに来ることになっている。病院に行くなら9時過ぎでいいから、まだ家を出てないようなら遅くていいよ、と電話をいれた。既に「こっちに向かってるよ」状態。事情を話すと、「いいよ、下で9時過ぎまで待ってるから」とのこと。こういうとき、中国人は意外と優しい。

ベットに転がって動かなければ問題ない。どこが痛いとか、苦しい訳でもない。でも何かおかしい。
病院が開く時間まで待って予約を入れる。なんとか用意して、車に乗り込む。
例の血液検査が好きな日本人先生のいるクリニックへ行き、事情を話す。例によって、血液検査を行なう。これがよかった。急性肝炎でガンマG何とか数値?が平均40から大きく超えて、980。その他の数値も大きく平均値を超えていた。すぐに、B型、C型肝炎の検査も追加する。違った。

先生「と、いうことは、A型かE型だと思うんだけど、ここではこれ以上検査出来ない。中国の場合、肝炎は普通の病院じゃなくて、国家管理化の衛生局で扱うことになるから、肝炎が検出されると伝染病隔離病棟に入れられることになってるんだ。(→A,E型肝炎は伝染病じゃないけど)そうなる前に、日本に帰国したほうがいいと思うよ。これ以上数値が上がらなければ、多分自宅療法で済むはずだから。ただ、これ以上上がると劇症化する危険があるから、そうしたら強制入院だけどね」

すぐに上司に連絡し、緊急帰国の旨を伝え、チケット手配の電話を入れる。それから実家に電話を入れると、なんと母方のおじいちゃんが、危篤だというではないか!?ちょっとぼけかけてたけど、身体は健康そのものだったのに、何事?。。。
とりあえずチケットが決まったらかけ直すといい、便が決まったのを確認してから実家に電話を入れると、
おじいちゃんが亡くなったそうな。。。。 なんだ、このタイミング?

私の実家は新潟。おじいちゃんは埼玉に住んでいる。飛行機は成田に到着。
なので、実家に行く前に埼玉で一休み(肝炎で移動はどこも痛くないけど、けっこうつらい)と思っていくと、式場手配の関係で、ちょうどその日がお通夜。駆けつけた親戚一堂と一緒に私も少し顔を出す。
だけどだるくて仕方ないので、ご遺体が置かれた部屋でおじいちゃんの棺の横で私も横になっていた。

その日はおばさん宅に泊めてもらったけど、やっぱり翌日のお葬式には動けなくて出れなかった。
肝炎は朝が特につらい。途中で式場から私の様子を見るために電話がかかってきたけど、受話器を取ることすら出来なかった。どこも痛くないのにね。。。とにかく身体の中からエネルギーを抜かれて何も出来ないって感じだ。しばらくすると、おばさんが家まで私の様子を見に来てくれた。動けるか?と試してみると、今度は何とか動けたので私も途中からお葬式に参加。
焼きあがった後のお骨拾いだけ参加できた。

そのまま両親は残り、私は妹と先に二人で新幹線で新潟に戻る。
翌日は全然動けず、自宅療養。翌々日に地元の病院へ数値を図りに行くと、980から下がってもいなかったけど、上がってもいなかったので取り合えず自宅療養開始。因みに検査の結果、A型じゃないとの事だったので、先生いわく、「おそらくE型だろうと思われます。何か、不潔なもの又は生ものを口にしましたか」?
「そういえば、1週間くらい前に食べ放題の刺身を。。。。でも、日系の高級レストランですよ」

自宅療養というのは、とりあえずじ~~~っと寝ていること。食事とトイレとお風呂以外のときはベットから離れなかった。というより、動けないんだな、本当に。本能的に動いてはいけないのが分る。
だけど、どこも痛いわけじゃないし、口だけは達者なので皆「本当に病気なのかい?」。
でも、良く寝れた。あんなに昼間ず~っと寝ているのに夜も又寝れるというのは普通じゃない。
「寝れば直る」って事実だと実感した。

それから3週間自宅療養後、再度病院で検査すると、980だった数値も80まで下がっていた。平均40なので、まだ完全復帰じゃないんだけど、通常の生活には戻れるとの事。
犬の散歩にも行ったりして数日を過ごした後、上海に戻った。

めでたし、めでたし!

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