2010年12月31日金曜日

衝撃の事実!!!

すごい久しぶりに日本での年越し。
新潟のこの辺では、年越しは31日のお昼にやる習慣らしい。
なんでか?って話をしていたんだけど、結局私の「昔は夜暗いから」が採用された。(家族会議で)

そしたら、おじーちゃんがぼそっと、
「昔はこの辺の正月は2月にやってた。
私「それって、春節じゃん。中国だ」
じ「旧暦だ。昭和20年ごろ、戦前までは旧暦で正月をやってた」

おおまいが~!!
おそるべし、中華文化のアジアでの浸透度!
私にとっては、衝撃の事実だった。

2010年12月27日月曜日

ロシア語圏の謎

Gブログは、「統計」って所をクリックすると、どの国で何回このブログが開かれたかがわかるよね。
日本、カナダ、アメリカ、タイなどは友人・知人がいるからある程度の閲覧記録があるのはわかる。

東南アジアの数カ国から数回の閲覧もあった。これは回数が今までの合計でもほんの数回なので
意図的に、というよりたまたまこのブログを開いてしまったのだろうと予想できる。

わからないのが、ラトビアとウクライナ。
知り合いはいないし、行った事もない。日本人もそんなにいそうにない。(もちろんいるだろうけど)
しかも、ラトビアは今までで30数回。週単位で見ても、何度か閲覧されている。
ウクライナは今週だけで既に数回。たまたま覗いてみたというより、ある程度誰かが意思を持って
時々チェックしていると予想される。

その地域にいる日本人だろうか?
その地域で日本語を勉強している現地の人なんだろうか?

2010年12月23日木曜日

中国⑦急性肝炎

ある日、朝起きると、何かが変だった。でも何がどうおかしいのか自分でも分らない。
とりあえず顔を洗おうと洗面所に向かった瞬間、みぞおちの辺りがぐらっと揺れた気がした。
で、目もかすんできたみたいで、とにかくみぞおち中心に身体がぐらぐらする。
何かがおかしい!と本能的に悟り、とにかくベットまで戻った。
運転手が7時過ぎに迎えに来ることになっている。病院に行くなら9時過ぎでいいから、まだ家を出てないようなら遅くていいよ、と電話をいれた。既に「こっちに向かってるよ」状態。事情を話すと、「いいよ、下で9時過ぎまで待ってるから」とのこと。こういうとき、中国人は意外と優しい。

ベットに転がって動かなければ問題ない。どこが痛いとか、苦しい訳でもない。でも何かおかしい。
病院が開く時間まで待って予約を入れる。なんとか用意して、車に乗り込む。
例の血液検査が好きな日本人先生のいるクリニックへ行き、事情を話す。例によって、血液検査を行なう。これがよかった。急性肝炎でガンマG何とか数値?が平均40から大きく超えて、980。その他の数値も大きく平均値を超えていた。すぐに、B型、C型肝炎の検査も追加する。違った。

先生「と、いうことは、A型かE型だと思うんだけど、ここではこれ以上検査出来ない。中国の場合、肝炎は普通の病院じゃなくて、国家管理化の衛生局で扱うことになるから、肝炎が検出されると伝染病隔離病棟に入れられることになってるんだ。(→A,E型肝炎は伝染病じゃないけど)そうなる前に、日本に帰国したほうがいいと思うよ。これ以上数値が上がらなければ、多分自宅療法で済むはずだから。ただ、これ以上上がると劇症化する危険があるから、そうしたら強制入院だけどね」

すぐに上司に連絡し、緊急帰国の旨を伝え、チケット手配の電話を入れる。それから実家に電話を入れると、なんと母方のおじいちゃんが、危篤だというではないか!?ちょっとぼけかけてたけど、身体は健康そのものだったのに、何事?。。。
とりあえずチケットが決まったらかけ直すといい、便が決まったのを確認してから実家に電話を入れると、
おじいちゃんが亡くなったそうな。。。。 なんだ、このタイミング?

私の実家は新潟。おじいちゃんは埼玉に住んでいる。飛行機は成田に到着。
なので、実家に行く前に埼玉で一休み(肝炎で移動はどこも痛くないけど、けっこうつらい)と思っていくと、式場手配の関係で、ちょうどその日がお通夜。駆けつけた親戚一堂と一緒に私も少し顔を出す。
だけどだるくて仕方ないので、ご遺体が置かれた部屋でおじいちゃんの棺の横で私も横になっていた。

その日はおばさん宅に泊めてもらったけど、やっぱり翌日のお葬式には動けなくて出れなかった。
肝炎は朝が特につらい。途中で式場から私の様子を見るために電話がかかってきたけど、受話器を取ることすら出来なかった。どこも痛くないのにね。。。とにかく身体の中からエネルギーを抜かれて何も出来ないって感じだ。しばらくすると、おばさんが家まで私の様子を見に来てくれた。動けるか?と試してみると、今度は何とか動けたので私も途中からお葬式に参加。
焼きあがった後のお骨拾いだけ参加できた。

そのまま両親は残り、私は妹と先に二人で新幹線で新潟に戻る。
翌日は全然動けず、自宅療養。翌々日に地元の病院へ数値を図りに行くと、980から下がってもいなかったけど、上がってもいなかったので取り合えず自宅療養開始。因みに検査の結果、A型じゃないとの事だったので、先生いわく、「おそらくE型だろうと思われます。何か、不潔なもの又は生ものを口にしましたか」?
「そういえば、1週間くらい前に食べ放題の刺身を。。。。でも、日系の高級レストランですよ」

自宅療養というのは、とりあえずじ~~~っと寝ていること。食事とトイレとお風呂以外のときはベットから離れなかった。というより、動けないんだな、本当に。本能的に動いてはいけないのが分る。
だけど、どこも痛いわけじゃないし、口だけは達者なので皆「本当に病気なのかい?」。
でも、良く寝れた。あんなに昼間ず~っと寝ているのに夜も又寝れるというのは普通じゃない。
「寝れば直る」って事実だと実感した。

それから3週間自宅療養後、再度病院で検査すると、980だった数値も80まで下がっていた。平均40なので、まだ完全復帰じゃないんだけど、通常の生活には戻れるとの事。
犬の散歩にも行ったりして数日を過ごした後、上海に戻った。

めでたし、めでたし!

中国⑥色んなマイナーな不調が続く

上海で仕事をしていたとき、色々マイナーな問題でも早めに病院に行くようにした。
今まで、「まあ、いいか」ですぐに対処しなかった結果めんどうな事になった気がしたので、反省も含めて。

①かなりタチの悪い頭痛で顔色が悪くなる上に浮腫んでいるので日本人医師のいるクリニックへ行った。
この先生、血液検査が大好きで、大したことないと思われる頭痛でも血液検査をしてくれた。もちろん、問題なし→私の希望でバナナパック点滴をしてもらい、帰宅。点滴後30分位で頭痛も直った。これは保険使ってるから金額不明。

②肩甲骨に沿っていくつか大きな吹き出物が出来る→今まで背中に吹き出物なんて出来たことなかった上に、出ている場所が変なので、なぜかとっさに、「腎臓か肝臓がわるいのかな?」と思い病院へ。静安寺近くの外国人向け「特別科」のある病院へ。かなりVIP的なふかふか絨毯のフロアーで、日本語通訳までいた。必要ないから断ったけど。ここも、保険があったので金額不明。とりあえず、皮膚科の先生に診てもらう。
先生「にきびだね」
私「そんなもん、出来る年でもないんですけど。今まで背中にこんなもの出来たことないし。内臓とかどこか悪くないですかね?」
先生「ただのにきびだよ。血をきれいにする漢方出すから飲んでみて」

で、既に小さな瓶につめられている液体状の漢方薬を1か月分くらい貰った。飲みきると少し良くなっているようなので、そのまま数ヶ月続けた。

③外陰部に腫瘍?と思われるような出来物が出来た。→パニクって日本人医師のいるクリニックに電話すると、産婦人科医は2週間後にしか来ないとのこと。とにかく予約を入れる。→看護師の資格を持っている友達に電話する→抗生物質の軟膏をとりあえず塗ってみたら?と言われ、実行→1週間位で直った。
でも一応、予約を入れたので念のために病院にも行った。
事情を説明すると、「へえ~、どこにあったの?指で指してみて」。
「ふ~ん、きれいに直ってるね。何もないよ。もしそれが癌だったら、今頃こんなにピンピンしてないって」
ごもっとも。一応一通りの検査をしてもらい、終了。何事もなかった。

2010年12月21日火曜日

中国⑤最悪のヘルニア

ようやく子宮糜爛の治療が終わって体調も良くなりかけたころ。
ある朝起きたら、まっすぐ立てなかった。
おばあさんのように腰が45度に曲がったまま、それ以上直立が出来ない!!
背中を伸ばそうとすると激痛が走る。最悪のヘルニアが出た。

止せばいいのに、今までの経験からヘルニアなんて、マッサージするか、コルセット巻いて痛み止め飲めば数日で良くなるだろうとタカを括った。で、家の近くにあった「漢方総合病院」に行った。
ここはいわゆる「マシな類の人民系ローカル病院」。だけど、成都時代の診療所の奇跡的な治療マッサージに感動したことのある私は、ここが「特別科」のある総合病院よりいいだろうと判断した。

で、「グアハオ」してから「治療マッサージ」科に行く。
レントゲンかCTを取らないと悪い箇所がわかんないし、そもそもヘルニアかどうかの診断も出来ないから治療出来ないといわれる。私は、ヘルニア歴長いんだよ、こんなの自分でわかるよ!と思いつつも埒が明かないので同じ病院でCTを取りに行く。レントゲンだと良く見えないと又CT取る羽目になるから最初からCT取ったほうがいいよという医者の薦めに従ったのだ。今思うと、そっちの方が高いからだろうけど。
で、やっぱりヘルニアって事でマッサージが始まる。
こねたり引っ張ったり、手のつぼに針刺したり。。。色々やっても成都のときのような劇的な変化はない。
ここでも又、「何が何でもなんとかしてくれ」って事で、

①通院による点滴(体液の流れを良くして痛みを取るらしい)
②漢方薬の処方(骨とかを強くして、気の流れをよくするらしい)
③牽引と温熱療法
④漢方シップ(チベット系の黒い漢方薬がべっとりついた強烈なシップ)
⑤コルセット
⑥針

による治療を始めた。毎日通院した。
当然不自然な前傾姿勢が直るまで会社は休むしかない。
本当は医者は「手術だな」とのたまった。
こんなところでメスを入れるなんて冗談じゃないと必死に抵抗した結果が上記の対処法だ。
中国の医者に患者を思いやる気持ちを期待するのは間違っている。皆ずけずけという。
「こんな腰じゃ、子供なんて産めないぞ」。痛みで十分参っているところに追い討ちをかけるこの台詞。
さすが中国だ。しかも、そんなこと今聞いてない!私が手術しないって言ったのが気に食わないのか?!
因みに上記の治療全てで1万元以上かかった。保険無し。

これを1~2週間しても大きな改善は見られなかった。
出来ることは全部やったのに、今までのようにはっきりとした改善が見られないことに焦った。
いくらひどいぎっくり腰でも、皆それなりに動いてるでしょ?私みたいに前景姿勢でよたよた動いてる
ぎっくり腰がこんなに長期間続いてるのはみたことない!!

で、中国に多い怪しい治療法の広告につい目が行き、わらにもすがる思いで違う病院に行った。
それは、つまり「中国とドイツが共同開発した、その2つの国にしかない特別な牽引機械で一気にヘルニアを治す」というもの。横にちゃんと立てなかったおばあちゃんが、背筋を伸ばして立っている写真まで載っている。ここまで来ると、「ちょっと位怪しくても少しでも良くなるなら!」という思いが勝った。

この病院のおじさん先生と看護師は共に感じが良く、親身になって
「大丈夫、この治療ですぐに良くなるからね。僕も前にやったことあるから。7年たつけど、それからヘルニアは出てないよ」と言ってくれる。ここまで来ると、治療法の有効性より、やさしい態度のほうがありがたい。前の病院から持ってきたCTを元にヘルニアの出ている部分を機械に打ち込んでいく。
治療室には、ベットとその横にコンピューター、足元に何だか良く分らない大きな機械。

ベットの上にうつぶせに寝かされ、手足と腰をベルトで固定される。一見、え?!拷問?って感じの状況だ。
「じゃあ、やるよ」って技師が言うと、いきなり意味不明のものすごい力で身体が上下左右、斜めなどに引っ張られた。足元に合った大きな機械とベットから「がっちゃんがっちゃん」とものすごい音がする。
まさしく、拷問。
しかも、「痛くない」って言ってたのに、ものすごく痛い!
これは「ギャーギャー叫ぶ類の恐ろしい痛み」だった。只でさえ、ヘルニアでうつぶせしてるだけでもつらいのに、これはあんまりだ。。。

施術時間自体は数分で終わり、背中にスースーするクリームを気休めに塗られた。
「こんなに痛がる人は初めてだ」とか言われながら、術後の点滴ルームにベットに乗せされたまま移動される。ここから4時間くらいかけて、6本の点滴を受けるのだ。多分、腫れを取る為だと思われる。
この拷問と点滴で、締めて3000元位だった思う。保険無しでね。

結果は、というと、奇跡的に背中が伸びた!
だけど今度は、前屈が出来なくなった。。。。
結局「温存療法」を実行する為に日本に戻り、針治療に通いながらそれから半年近くはベットの上で寝たきり生活をした。
時間をかければ自然に回復するもんだな~と思った。

中国④子宮糜爛

中国で仕事をし始めてからのこと。
この頃からは私立又は外人向け「特別科」があるいい病院にしか行ってない。
こういうところが四川時代の「人民系ローカル病院」と違うところは、まず最初の「グアハオ」の値段。
大体50~100元は取られる。しかも、先生に診てもらって、薬や治療法を提示されるときに必ず言われるのが、「金あるか?」。

つまり、どの位出せるかによって治療法、出す薬が違ってくるシステム。。。
地獄の沙汰も金次第!

当時シンセンで働いていた。上司がたまたま中国で婦人科の医者をやっていた事がある日本人だった。
生理の前後で左の卵巣付近に不快感が続く上に、最近生理のときに出血量が昔と比べてかなり少なく、このままひっからびたりして~ということを何かのついでに話したら、すぐに病院に行って調べろとアドバイスされた。会社のすぐ前にいい感じの私立病院があったのでそこに行く。
幾つかの検査を行う。結果もすぐに出た。

いい感じの中年女医先生がいうには、「子宮頚糜爛」つまり、膣と子宮の連結部分が爛れてるという事。
原因は、まあ、色々あるんだけど女性ホルモンが多い20代の女性の70%は糜爛が多かれ少なかれ、あるらしい。私の場合は、治療が必要な位ひどかったというだけ。思い当たる節は多すぎた。
ここでも、「金はあるか?」。と親身に聞かれた。。。
「金は糸目をつけないのでちゃんと治療してください」ということで、

①抗生物質の点滴と服用
②わけのわからんMRIみたいな筒型の機械に肛門から「お腹をあっためる」という漢方の液体を注入されたあと入れられ、電磁波で腹部を暖める治療。→炎症を取るらしい。
③レーザーによる患部の治療
④アフターフォローとして、1週間に1回を3回で患部にぐりぐりと消毒を施す

というフルコース治療を受けることになった。
合計2000元チョットだったと思う。保険無しでね。

特に③のレーザーは痛かった。麻酔もしないし。
私「痛くないんですか?」
医「痛くないわよ。少し重い感じがするかも。生理痛のひどいときみたいな」
これなら何とか耐えられるか?と思い始まると。。。

痛いじゃないか!!しかも、ギャーギャー叫ぶ感じの鋭い痛みじゃなくて、重苦しい感じの鈍い痛みが
下腹部全体に広がり、声も出ない。施術時間は5分程度なんだけど、終わったら顔色真っ青。
又抗生物質化何かを点滴されて、午後から会社に行った。
何も知らない同僚が、「どうしたの?顔色悪いよ」
すごく痛かったんだよ!!声も出ないくらいに!
レーザーの後にも患部にぐりぐりと消毒液をすり込まれた。これも痛い。

人生初の「肛門に何かを突っ込まれる」+レーザー体験をした結果。
良くなった!レーザー後、1~2日で今まで何をしてもだるくて、食欲もなかったのが
ちゃんとおいしく食事が出来るようになった。左下腹部の不快感も、だるさもうそみたいになくなった。
やっぱり、体内に「爛れて」いるところがあれが、体調がいいわけないよね~!!と痛みを忘れて現金に喜んだ。結論としては、中国に長い私の友人も言っているけど、中国の医者は結構優秀なのが多い。人口が多いだけに、こなしている数が違うから。あと、漢方も一緒に使ったりするから日本の僻地の大学病院に行くよりよっぽどいい。

ただ、その後数年後にネットで調べて思った。
中国だったから、あの時レーザー治療までしたんだな、と。
多分日本だったら抗生物質の投与で終わってると思う。中国は何かにつけ、「積極的治療」が大好き。
お金取れるからね。日本だったら温存治療をとる場合が殆どのものでも、すぐに切りたがる。これはホント。

インドで眼科に行く

インドには、スマトラ島津波の前後あわせて1年位住んでいた。

その時に、目に物貰いができた。
最初は良くある小さいものだったので、薬局で目薬を買って様子を見た。
でも、だんだん大きくなっていき、痛いし、コンタクトも入れられない。
諦めて、眼科に行くことに。
その時いたのは、南インド・チェンナイから南に60KMほどいったところにある
海岸沿いの観光地。内陸に30分くらいトゥクトゥクを飛ばして行った。

平屋の建物の中に人がいっぱいうろうろしてた。そこが眼科。
インド人と一緒に行ったので自分で受付などをしていないのでイマイチシステムは謎。
お医者さんはでっぶりど~んとしたおばさん。
機械はそれなりに近代的なものが置いてあった。
物貰いということで抗生物質入りの目薬を出される。既に薬局で買ったの試したんだけど、
効かなかったというと、これはもっと強いから大丈夫とのこと。

7週間くらいさし続けたら、本当に良くなった。
あの頑固な大きいものもらいが。目薬を差し始めてから、目やにがものすごく出るようになった。
特に夜さして寝ると、翌日の朝、目やにで目が開かないくらい。それがだんだん少なくなっていって、
物貰いも小さくなっていった。恐るべし!インドの目薬!

一般的にインドの抗生物質は日本のものに比べて強い。もしくは、量が多い。
1週間くらい熱が下がらなくて近くの診療所に行ったときも抗生物質を出された。
「あんまり強くないから大丈夫」との事だったけど、私には強かった。
全然直らなかった熱がすぐに下がったけど、代わりにお腹をやられた。
そこのお医者さんも、でっぶりで~んとしたおばあちゃんだった。インドには女医さんが多い。

2010年12月20日月曜日

中国③お見舞いで精神科へ

前にブログのどこかに何かの折に書いたと思われる、韓国人の友達の「統合失調症」騒ぎ。
彼女のお見舞いで卒業間近に華西大学病院系列の精神科にお見舞いに行った。

たしか、入院騒ぎも春だった。
お医者さんの説明によると、この時期おかしくなる人が一番多い時期だとかで、入院ベットも中々空がないらしい。だからMも個室じゃなくて2人部屋にいた。

なんていうか。。。。。柵無しの牢獄?みたいな部屋だった印象。
留学1年目にスリランカのモデタというクラスメートが腎臓か膀胱炎で1週間くらい入院してたときにも
お見舞いに行って「何がなんでも中国で入院だけはすまい」と心に誓った。位、人民が入る病院は。。。(まあ、10年前の話だけど)ひどかった。看護婦さんの爪も長くて真っ黒だった。。

成都には、「政府第○病院」系列があって、○の部分に1~10くらいまで数字が入っている。
モデタは第7病院だったはず。数字によって内科、外科、眼科、精神科、その他色々。。。と分けられているというような噂を聞いた(真偽の程は確かめてないから不明)

卒業後仕事を始めてからは、外国人が利用する「特別科」がある高級病院にしか行ってないから
この学生時代の体験がなければ、こういう人民のリアルな世界を見ることも出来なかったな~と思う。
そこに入院する嵌めにならなくてよかった。

中国②路上でヘルニア発生

中国滞在半年後位から、夜グランドを走り始めた。
しばらくやると、癖になり、走らないと「毒素が溜まった感じ」がしてきた。
というわけで、たまに「腰が痛いな~」と思っても無視して走ってた。

16の時、高校のスキー授業で久しぶりの得意のスキーをやったら「ぐきっ・・!」と来て
椎間板ヘルニアになり、1ヶ月くらいコルセット生活をしていたことがある。それ以来、大きなヘルニアは出ていないけど、寒くなると神経痛?は多少感じていた。

で、ある日大学近くの道を歩いていたらいきなり腰に痛みが走り、歩けなくなった。
一応立ってはいられるんだけど、全うに歩けない。。。
と、目の前に「診療所」の看板が。よろよろとわらにもすがる思いでそこまで移動。

状況を説明すると、おじさん先生は脈を取り、一通りの「漢方医的診察」を済ませた後に、
「マッサージか漢方の飲むか」といった。
(はあ~?ヘルニアって漢方飲んで良くなるものなの?)っていうのが私の感想。
「どんな作用が?」と聞くと、
「血液と気の流れを良くして腰周辺の滞りを解消する」
「マッサージは?それで良くなるんですか?」
「なる!」
この先生の自信に励まされ、マッサージを受けることに。
因みにこれは、良くある街中の「健康マッサージ」とは違い、「治療マッサージ」という。
時間も大体「健康」は1時間で全身をマッサージするんだけど、「治療」の場合は患部とその付近のみを20分前後マッサージする。

このときのヘルニアは、「うつぶせが出来ない」出方だった。
なのに先生は、マッサージベットを指差し、「うつぶせ」。
「いや、出来ない」→「出来る」→「うげ~~~!!」。
無理やりうつぶせにされた後、先生の他に2人のおばさんに取り囲まれた。
先生は色々「ここがこのつぼで、ここを押すと彼女はすごく痛い」とか言いながら、拷問のようなマッサージを続ける。本当に痛かった。ギャーギャー痛いと叫ぶ私を無視して、講義とマッサージ(拷問?)は続く。
これでもう私、このうつぶせ状態から動くことも出来ないほど壊滅的に痛めつけられた。。。と思っているとマッサージは終了。

「立ってみろ」と先生。そんなあ。。。無理に決まっていると思い、助けられながら身体を起こし恐る恐る立ち上がると。なんと!!マッサージ前の痛みレベルが100、マッサージ中が120だとすると、マッサージ後は40位にまで回復していた。恐るべし、拷問マッサージ!!
とりあえずちゃんと歩いて寮まで帰れそうだった。
現金にも気を良くした私は、先生に「すごい!良くなってる」というと、
「そうだろう、あとこれを2~3日に1回の割合で1週間くらい続ければ完治だ」と言い切った。
実際、そうなった。

あまりの名医ぶりに色々先生と話がはずんだ。
いわく、先生は成都に留学に来る医学生が学ぶここでは一流の「華西大学病院」の医者で、ここの診療所では周3回のバイトをしているそうだ。私と同い年位の息子さんも軍医をしているから、どうだ?今度紹介するぞ、と言われた。先生いわく、優秀な漢方医になるには、5年間の医学校訓練以外にも、あと3年くらいチベット医学をやるといいとのこと。でも、最近の医者ではチベット医学まで勉強している医者は少ないとの事。先生は、当然チベット医学も修めている。

因みに治療マッサージのお値段は、確か1回15元か25元だったはず。
私が当時行きつけの「盲人健康マッサージ」は1時間15元だったから、時間からすると「治療」は割高なんだけど、まあ、日本円に換算したら信じられない安さだ。技術も一流!
診療所で思いがけなく見つけた掘り出し物って感じだった。

中国①尿道感染

中国では何度も色んな病院にかかってる。
まずは成都時代。

留学数年目にして初の中国病院デビューをした。
数週間、左のわき腹が変だった。なんていうか。。。痛いとかそういうのではないんだけど、
「ものすごい違和感を覚える」といった感じ。最初は無視してたんだけど、無視できないほどの
「違和感」が主張を始めたので諦めて病院へ。
四川大学敷地内にある、「望江病院」だったはずだ。一番近いし、通り道にあるから。
もちろん、バリバリ中国人民しか利用しないローカルな病院。
よくシステムもわかんないけど、取り合えず当たって砕けろ。
中国では大体「グアハオ」といって、まあ、「順番待ちの紙」を最初に貰う。これに1元とか(時代、場所、病院のレベルによって値段は様々)払ってもらった(気がする)。
で、自分が診察を受けたい課に行く。とりあえず内科に行った。

診察室のドアは開いたまま、先生の前から廊下まで長蛇の列。私も同じように割り込みをしたりしながら、列につく。これはすごいぜ。プライバシーなんてない。皆、前の人が診察されている内容が聞こえる。

私の番が来る。すると、「不機嫌な顔のおばさん先生」が、手をふっと上に振り上げ、「男性は後ろに下がり、ドアを閉めるように」といった。一応私が若い女性だったので、服をめくって診察するのを気遣ってくれたようだ。日本だったら当たり前なんだけど、これにはちょっとびっくり。

尿道感染か、膀胱炎か、結石の疑いということで、尿検査と超音波検査を指示される。
自分で先生が書いてくれた検査指示を持って、尿検査ラボに行き、用具を貰って尿を取り、コップを持って検査室に持って行き、その前で検査結果を貰うのを待つ。15分くらいですぐに結果が出た。会計もここで済ませる。7元だった。安い!早い!

超音波検査はその時技師がいなかったので翌日排尿しない状態で出直すように言われる。
そうした。これも翌日そのまま病院に入り、検査室に直行。技師を自分で探して検査してもらう。
ごわごわのわら半紙+アルファみたいな紙で検査後のジェルをぬぐってもらい、終了。28元。安い!

二つの検査結果を自分で貰い、持って最初の先生のところへ向かう。
「よかったね、結石じゃないから、多分尿道感染だ。抗生物質と利尿剤(漢方)を出すから薬が終わったらまた尿検査においで。水をたくさん飲むように」。
「因みに、尿道感染の原因は?」
「上からも、下からも感染しうる」
・・・・何となく思い当たる節はいっぱいあった。まあ、いいや。

薬が終わって再検査。
「んん?今度は尿に蛋白が出てる。。。まったくこのおねえさん(小姐)は。。。」とぶつぶつ言った後、利尿作用のある漢方をもう1週間飲むように指示され、終了。飲み終わる頃には、すっかりわき腹の不快感も消えていた。中々優秀かつ安い、中国人民の利用する病院!

なんでこんな事書こうと思ったかというと、最近又この覚えのある「わき腹の不快感」を感じることがあるから。。。。思い出しちゃった。

ラオス・人生初の点滴を受ける

20代から中国を中心とした東~東南~南アジアで生活をしてきた。
その結果か、年齢のわりにあちこち故障が多い私の身体。

まず手始めは、2000年年明けのラオス旅行。
中国の成都~昆明まで鉄道で移動。そこからラオスまで陸路バス移動。
当時、ラオスの唯一の国道ルート13(今はどうだか不明)がまだでこぼこの舗装されていない道だったころのことだ。
この旅行の目的は「楽しく冬に東南アジアでトロピカルフルーツを食べまくるツアー」。
といっても、私と留学仲間のさっちゃん2人のね。

これが私の「初!東南アジア入り」。さっちゃんも前に一度ベトナムを旅行で訪れたことがあるのみ。
だから、知らなかったんだよ。。。パパイヤって食べ過ぎるととんでもないことになるんだってことを。
で、二人でバカバカ食べた。大きな黄色いパパイヤを丸ごと1つ。1日で。

それを数日続けた。上に、帰りの航空券を手配した(さすがに帰りもあの過酷な陸路を利用する体力は残ってないと判断)旅行会社の社長(カンボジア人)が招待してくれた、ビエンチャン空港の空港職員とのパーティーでもてなされ、「俺の酒が飲めないのか」状態で飲み続けた結果、最初にさっちゃんがやられた。夕食のときに下痢が止まらなくなった。というわけで、その日は早めにゲストハウスに戻る。

冬だけど暖かいこの地域では、基本的に水シャワー。冬はそれでも夜は涼しいから、現地の人は大体昼間のうちに水浴びをする。外人の私たちは、いつもどおり夜に水シャワー。それもたたったのか、その日の夜、私のほうにも時間差攻撃でひどい下痢が襲ってきた。一晩で4回下して、更に3回吐いた。震えも止まらなく、要するにひどい脱水症状を起こし、翌朝にはしゃべるのすらめんどくさく、指1本動かすことも出来ないていたらく。

上記のカンボジア人は、妹が日本人と結婚しているらしい。苗字が私と同じ「佐藤」ということで、とっても私に親近感を覚え、必要以上に良くしてくれた。頼んでもいないのに自ら勝手に私らのツアーガイドを費用ごと自分持ちでやってくれていた。(まあ、より正確に状況を描写すると、「若い日本人の女の子二人と一緒に遊べるいい機会を楽しんだ」というところかね)。お金のない留学生だった私たちもそれをラッキーと受け入れた。いちいちトゥクトゥク値段交渉しなくても、日本製の車で迎えに来てくれるのは楽だった。。。

で、翌日迎えに来てくれたカンボジア人が私のその状況を見て、自分のお抱えのおばさん医者をゲストハウスに呼んでくれた。そこで、人生初の点滴を受けることになった。単純なブドウ糖点滴だったと思うんだけど、私にとって、点滴ってそのときは「すごい重病人が受けるもの」だと思ってたから。しかも人生初の点滴をラオスでやるなんて。。。

2010年12月19日日曜日

皆異星人

親、兄弟は自分から見て遺伝子をそれぞれ半分づつ共有してるんだよね?!
だから何となく、自分と同じ面には目が行かず、違う面に気がつく。
「なんで兄弟なのにこんなに違うんだ?!」というやつだ。

みさぶと私にもいつくかの共通項はあるはずだ。
だけど、性格的にあまりにも正反対なのでやはりそっちにばかり気が行く。
当たり前なんだけど、良く考えてみたら、私たちは同じ親、同じような環境で育った。
だけど、大きく違うことがある。私には妹がいて、みさぶには姉がいたということだ。
私には姉はいなかったし、みさぶには妹はいなかったのだ。これはでかい。

「なんでこんなに自主性のない性格なんだ?」と度々みさぶをみて理解に苦しむ私だが、
私みたいな姉がいたら、あんまり自主性を発揮する必要自体がなかったかも~なんて思ったりもする。
逆の立場から考えてみると、私みたいな姉がいたら、大変だね~。。。と言う気もしてきた。
近くにいなければ問題はないけど、一緒に住んでいたらその影響は免れられないだろう。特に幼少期は。

半分は同じ遺伝子をもっている姉妹でこうなんだ。
年齢、文化、育った国、性別、人種、宗教とかが違う他人を理解することは非常にハードルが高い。
特に性別というやつは、でかい。
持っている臓器すら完全に同じではないんだから、これはもう異星人に近い。
考え方が根本から違う、価値観が違うというのは、当然のことだろう。

犬の気持ちだって、分るようで全部わかる訳はないのだ。
今日、猟から帰ってきたスーちゃんに散歩の格好で会いに行ったら、
「ええっ!?今日は勘弁して下せぇっ!」ってびびった顔で眉間にしわ寄せてた。

2010年12月17日金曜日

下僕体質

みさぶって奴は、根っからの下僕体質。
最初は私の下僕から始まり、次はカナダの旦那に移り、今は息子のトラちゃん。
生後3ヶ月にも満たない赤子に見事に振り回されている。

バンクーバーのダウンタウンに買い物に行ったときのこと。

私「ほら、あんた何か買って欲しい物があった言え。お祝いをお金ではやらないけど(あげるとどうでもいいおもちゃとか買って終わるから腹立たしい)必要と私が認めたものは買ってやるぞ」
み「あ、ズボンがこれ、破けたから」(と、膝が裂けたジーンズを指差す)
私「じゃあ、それ買えよ」と、そこでぞろぞろと目の前にあった店に入る。
みさぶはもっとも近くにあった黒のズボンを手に取る。
私「あ、(今はいているズボンを指差して)黒いのなら私が今はいてるのよかったらおいて行くよ」(だから、他の色の買えよといういみ)
み「あ、そう。じゃあそれでいいや。要らない」

恐るべしは3つ子の魂。昔から買い物が大嫌いで、最後には
「お姉ちゃんのお下がりでいい」といっていた奴だけのことはある。
ゆみ3が
「でも、そのサイズ、産後体型が戻らなかったら入らないんじゃない?」の一言でようやくしぶしぶ
いくつか試着に行った。


同じくバンクーバーで取っ手が壊れたという掃除機を買いに行く。
誰が使う掃除機だ?!私とゆみ3が選び出して、本人は蚊帳の外。
これではいかんと自分で選べというと、今度はカズが出てきて結局前と同じようなのを選んだ。
みさぶはやっぱり蚊帳の外。


バンクーバーのお家でも、一番新入りのみさぶは前からいる犬3匹にも下僕扱いされる。
ハナビーは、なんかの拍子にみさぶのズボンのすそを噛んだらしいので、怒ってスリッパでたたいてみたらしいが、何の反省も、恐れられる様子もなし。むかしからみさぶは犬とか動物にうんこつけられたり、馬鹿にされたりしてきた戌年女。
因みにちょっとトラちゃんを鼻先で突いたのをゆみ3に見られて怒鳴られたときのハナビーは、
びくっとして、後ろに飛びのき、その後ゆみ3の後をついて周り、ご機嫌伺いしてた。本当に怖いものは本能でわかるらしい。

トラちゃんは、3ヶ月目にして、寝ているのが好きじゃない、6~12ヶ月用の子供のお洋服を着ているでかい赤子。起きているときはいつも立っていたい!足が「むんむん」とスクワット的動きで立とうとし続ける。
腱鞘炎で痛む手首にサポーターを巻いて、みさぶはトラちゃんの要求どおり、トラちゃんが立っていられるように支え続ける。。。。

2010年12月5日日曜日

カナダで自分を改めて知った

カナダ滞在も残すところ後2日。
はっきり言って、「帰れてほっとするぜー」。

妹の家は動物園並に動物が多い。それも屋内飼い(カナダはたいていそうらしい)。
しかも妹夫婦は私から見るとそろってズボラで要領が悪く、効率的に動いたり、物事を計画的に
進めることが下手。だから一緒にいるといらいらするのだ。
ついにいつものように仕切りだしてしまう。

今日は彼ら二人に買い物に行かせて、母とトラちゃんと犬の世話をしながら、家の掃除をやつらがいないうちにやってしまった。本人達に任せておくと気にならないのかいつまでもしないし、「やれ」と号令をかけないといつまでも動かない。私には耐えられん。。。!

幸いなことにトラちゃんは気のいい、よく寝る扱いやすい子供だし、犬たちも皆おりこうさん。
バンクーバ郊外の家は地下鉄駅まで歩いて2-3分だし、バス停も近い。スーパーも近い。
これで何が今まで不便だったのか、全く理解に苦しむ。

だけど、ここで改めて気がついたこと。
私はやっぱり、母親にはならなくていいみたい。。。
友達の子供で3-4歳になったいい子達を見ていると、「いいねー」と思ったりもしたんだけど、
その前にはこの「訳も無く泣き喚くことがある期間」というものがあるのだ。
子供が自分で歩けるようになるまでは、この重くてうっとうしいベビーカーを持って移動しなきゃいけないし、車に乗るときにもこれを取り付けたりしないといけないし。外出時には飲み物とか、オムツとか色々持ち物が多くて本当に大変だ。

私には無理!!
気がついて、良かった。

2010年12月3日金曜日

カナダ

月曜日からカナダに来ている。
妹の子供を見る為に、母の付き添いで同行だ。

妹の家には、3匹のボーダーコリーと猫1匹、鳥2匹。
ものすごい動物の毛。おまけに数ヶ月前にスカンクにやられた犬のせいで家の中に異臭漂う。。。
ここに泊まるのは辛いので、近くにある妹の夫のおばさんの家に泊めてもらっている。
一人暮らしで動物のいない家は、とっても居心地がいいぜぇ。

初めてのカナダで思ったこと。
●カナダ人はアメリカ人と本当に違う。助け合いの精神がとっても旺盛。人が良くて、治安がいい。
●犬を家族の一員として扱い、ほとんどが家の中で犬を飼う。
●ホームレスはとっても素敵な犬を飼っている。寒い冬に一緒に寝るとあったかいからね。餌は人がくれるらしい。そしてホームレスも自分の食べ物を買うお金が無くても犬にはご飯をあげるらしい。とっても威厳のある毛艶のいい犬が凛として荷車を引きながら町を歩いていた。飼い主はホームレス(らしき人)。時間がいっぱいあるから丁寧に手入れされているのか、本当にきれいで気品のある犬だった。
●英語が聞き取りやすい。そして、移民が多いので私達の英語を聞き取る能力も高い。移民が多いから、自分が「檻の中のパンダ」になった気分がしない。アメリカの田舎にいた時はそんな気分だったけど。
●とにかく中国系を初めとしたアジア系の移民が(もしくは留学生が)本当に多い。インド系も良く見かける。

今のところ、こんな感じ。

2010年11月27日土曜日

予想不可の結末

先週、上海に行ってきた。
本当は8月中に始まるはずだった仕事が今まで延期になっていた。
最初の延期の理由は、中国側パートナーのオーナーのお母さんが危篤→復活→危篤→死亡→お葬式という
理由によるもの。これが8月末から9月末までの間続いた。
不可抗力なのでそれ以上強くも言えず、こちらは連絡を待っていた。

上海在住の日本人女性(私の友人)と彼女の夫である日系企業に勤務するエリート中国人にコーディネーターとして連絡を任せていた。最初は私の友人が中心になって、日本側と連絡を取り合っていた。ところが9月末のメールを最後に彼女からの連絡が途絶える。電話にも出ない。

その辺から彼女の夫がこちらの連絡にすばやいとはいえないながらも(彼は激務の本職の合間に手伝ってくれているから)中国側とのコーディネートをしてくれていた。でも、話が一向に進まず、第一なんで彼女が消えたのかも良くわからないまま。もともと腎臓が良くなく、最後のメールで「今持病が進展中」とあったので、入院して動けなくなったのかと心配した。そんな状態が2ヶ月くらい続いた。彼女の夫も「大丈夫ですよ」と言うだけではっきりと何も言わない。全くもって中国で何が起こっているのか予測不可能。

で、社長と一緒に中国に乗り込んだ。(まあ、相手からも「そろそろ一度お会いしましょう」とこのタイミングで言ってきてはいたみたいだけど)。

結果。
彼女が消えた理由:信じていた人に最悪の形で裏切られ(詳細を聞くと最初からだまされていた事が判明)たことがショックで自信喪失し、家に引きこもっていた。こちらにその事を説明する余裕すらないほどだった。
普通の人の10倍くらいのパワーで動き回る人だっただけに、これは全く予想不可の真相だった。

中国側が連絡してこなかった理由:オーナーのお母さんが亡くなった件で、担当者だった副社長に担当プロジェクトが集中し、本当に手が回らない状態だった。さっさと新しい担当者を見つけて自分は関われないとの判断までにこれだけの時間がかかっていた。

現地に行ってみれば、「ああそう、なるほどね。大変だったね」。
全く状況が見えない状態で予想しえた最悪の結果は訪れなかったことだけでもラッキーとしよう。

バルト?白鵬?北の海?




わずか3ヶ月弱で、人間の子供というものは、ここまで意思を宿した顔をするものなんだろうか?
微妙におじさんくさいし。。。「貫禄」がある赤ん坊って珍しいよね。
おじいちゃんとおばあちゃんは、この写真を見て、「バルトだ。白鵬だ」と言った。
ゆみ3は「北の海」だそうだ。

2010年11月12日金曜日

待っててくれ?

昨日、ふと聞き流していたテレビニュース。
高名などなたかが、高齢でなくなったという話(だったはず)。

そこで、弔辞を述べていた、同じくご高齢のどなたかの言葉にギョッとしたと
同時に、何だかとてもしっくり来るものを感じた。

それは、「待っていてくれ」という言葉だった。

確かに!!80過ぎて寿命を全うした友人に向かって述べる弔辞として
これ以上的確に心情を表したものって無いんじゃないかと思った。

さすが、年の功の名言だと思った。

2010年11月11日木曜日

よく似た人

アリゾナのジミーからのメール。
先日通りで私にそっくりな人を見かけたらしい。
そっくりというより、「正に私本人に見える人」らしい。

前にインドに居たとき、インド人が「今日、そこの通りで黒いのぞみを見かけた」と言った。
よく聞いてみると、こちらは「見かけが私なんだけど、肌の色が本人より黒かった。でもその他は本当にそっくりだった」とのこと。

世界には自分のそっくりさんが誰にでも3人いるとか聞いたことがある。
私のそっくりさんの出没地帯はアリゾナとインドか。。。

会ってみたいよね、そんな人が本当にいるんなら。

2010年11月7日日曜日

大好きなお下がり

私じゃないよ、妹だ。
お下がりが大好きなのは。

初めての彼女の子供、トラちゃんも旦那の元彼女の子供(もちろん、他の男との)のお下がりを
もらって喜んでいる。服も、ベビーカーとかも。。

ハロウィーンのときにメイド服を着ていたので(スカイプで見た)
「そんなもん、買ったの?」と聞くと
「カズ(夫)が持ってたの」
一瞬、カズに女装趣味があるのかと思った。
「なんでそんなもん持ってたの?」
「前の彼女が置いていったんだって」
「。。。。。」

昔からみさぶは買い物に行くのが嫌いで、新しい服を買ってあげると連れて行かれても
途中で嫌になって、「もうおねえちゃんのお下がりでいい」といっていたけど、おそるべし!三つ子の魂。

2010年10月30日土曜日

毎年恒例の

今日は毎年恒例の「恐怖の従姉妹会」なるもの開催中。
私の従姉妹じゃなくて、「親族会」だから私は関係ないけどね。

ひたすら飲みまくる一族会。。。
肝臓を傷めたことのある私には縁の無いものだ。

2010年10月29日金曜日

明け方の夢

明け方に面白い夢を見た。

私はものすごい肩こりでアラブ伝統医のところでマッサージを受けていた。
最初に右肩からほぐし始めたお医者さんは、黒人の中年男性だった。

ものすごいコリが少しほぐれ始めたとき、先生は腕のつぼも刺激し始め、こういった。
「この肩こりは内臓の間の体液の循環が滞ってることで引き起こされているから、まずそっちの問題を治さないと直らない」。

実は最近、いつも寝る前に左の卵巣もしくは膀胱(昔膀胱炎になったときに変異を感じた場所)に違和感を感じていたのだ。

で、先生は内臓をほぐし始め(要するに腹マッサージ)た。すると夢の中でのあのひどい肩こりは無くなり、目が覚めると私もすっきり。

たまにこういう夢を見る。実生活で役立つことを教えてくれる夢。
早速内臓の疲れをとるために足裏と内臓マッサージをしよう。

2010年10月28日木曜日

2010年10月25日月曜日

類友③

シンセンで産休中のヤスコさんとスカイプでチャット。
イギリスで留学中に出会った日本語も話せるインドネシア華僑の好青年と
08年8月8日に入籍したヤスコさん。

夏に待望の長女が生まれたんだけど、シンセンで勤務してる彼女は中国の病院で出産したくなかったらしい。
その気持ちは良くわかるけど。。。
で、「ものすごく高い子だよ」と言いながら、予定日1週間前から香港にホテルを取ってその日に備え、香港の病院で出産した。もちろんそれまでもシンセンから定期通院していたことだろう。

生んだ後も子供のパスポートが出来るまでわずか電車で1時間とは言え、香港と中国の国境を越えることは出来ない。行きは腹の中にいたから良かったけど、帰りは体外に出たのでいくら新生児といえどもパスポート無しには戻れない。で、その間もまたくそ高い香港のホテルに滞在。

もちろん外国で出産は保険が効かないから高い。特に香港の病院は、あほみたいに高い。
よくやったよな、としか言いようがない。

その彼女の義理の母と弟とおじさん8人がインドネシアから子供を見にやってきたらしい。
なんだか意思疎通が出来なくて大変らしい。中国語がいまいちという問題以外にも、

①ホテル滞在している8人のおじさんたちが12時に家に迎えに来るはずなのに現れない。弟が探しに行ったまま帰ってこない。お母さんは待つのに飽きて風呂に入りだした。。。
②夫がお母さんが果物好きだから出してっていうから出したのに食べない(なんで?)
③一昨日来たばかりで、11月1日までいる予定だったのに、ホームシックだから今夜帰るとか言ってる

などなど。。。
子供が生まれた後にすぐ動けない彼女が夫に「育児日記を買ってきて」というと、そんなものをつける習慣がないらしいお国出身の彼は、「その辺の裏紙に書いておけば」→なんとか買いに行かせると、大学日記を買ってきた。→これに関しては、別に特別なノートじゃなくてもOKな気がするけど、こだわる彼女は「買い物も出来ない。。。」とむくれていた。

2010年10月23日土曜日

うつ病疑惑

みさぶの産後うつの疑惑は、私からカズのお姉さんにフェイスブックからメッセージでも
送って誤解を解いておいてと無責任なみさぶ。

で、そうした。
「こんにちは、この前スカイプでお話したみさおの姉です。カズとみさおから聞いたのだけど、
あなたとお母さんが彼女が産後うつになっているのでは?!と心配しているとか。。。
カズと大笑いしましたが、彼女は元々そういう性格なので心配しないで大丈夫ですよ!
日本語でもあんまりしゃべらないし、喜怒哀楽が表情にあんまり出ないし、用事がない限り外出しないし。。」

って書いてて思った。「うわっ。普通の状態が鬱みたいじゃん・・・・」
自分で突っ込んで、一人で大笑いした。うけけけけ。

ゆみ3側のおばあちゃんに電話でこの件を話すと、
「だって、私あの子(みさぶ)と話したことないわよ。どの孫も皆私が行けばこんにちはと、帰るときにはさようなら位いうけど、あの子は目が合うとにっこりするだけで話さないわよ」
「いや、いくらなんでも挨拶くらいはしてると思うよ。多分周りがわさわさしてるからかき消されて聞こえないだけだよ」。

うつ病疑惑、続く?

2010年10月21日木曜日

国民性の違い?

昨日みさぶとスカイプで話してて笑ったこと。
産後、ほとんど家から出ないみさぶ。それは彼女にとっては普通の事。別に産後でなくでも用がなければ彼女は動かない。

そんなやつを見たカズの親族(お母さん、お姉さん、おばさん)がカズに電話してきて、こういったらしい。
「ねえ、みさおは誰かお友達に会ったり、電話で話したりしてるの?ぜんぜん出かけないらしいけど」
「いや。友達にも会ってないし、電話もしてないよ」
「それはまずいわ~。産後鬱なんじゃないかしら?!皆で心配してるのよ」
「いや、彼女にとっては普通のことだよ。。。」

カズと大笑い。
トラちゃんが生まれてからカナダの反対側からカズのお母さんとお姉さんが来てくれたのは知ってた。
お母さんは動物アレルギーなのでカズの家に泊まれないから近くの親戚の家に泊まり、みさぶがトラちゃんを連れて会いに行った。そこで、産後動いたのでナプキンにあそこがすれて変な歩き方をしていたみさぶをみて、お母さんが「頼むから病院に行って頂戴」と悲しそうに?言ったらしい。
その後、「私に出来ることをしに来たわ」といって、ほとんど空っぽだった冷蔵庫を食べ物でいっぱいにして帰って行ったらしい。

これを聞いたまゆみ3は、「カズのお母さん、みさを見てどお思ったんだろう?あんまり英語もしゃべらないし、ぼ~っとしてるし」。

結論。彼女らは、みさぶを「産後鬱に違いない」と思っていた。
理由は、どこにも出かけないし(用事がない限り。これはトラちゃんの世話があるからなんだけど)あんまりしゃべらないし(英語があんまり出来ないせいもあるけど、性格の問題。日本語だってそんなに発言しない)、異国の地で寂しいに違いない→でも友達に会ったり、電話したりもしない→鬱にちがいないっ!!

国民性の違いかもしれないけど、日本だったら産後1ヵ月半でそんなに動き回る人のほうが珍しいかと思うけど、どうだろう?まあ、やつのしゃべらなさは時々そこにいるのにまるで存在感がないみたいになってるから、多少非常識かもしれないけど。あ、存在感を消せるって、忍者?なんてね~。

2010年10月20日水曜日

4つの種類

どうやらスーちゃんにとって、糞には4種類あるらしい。
1.無視する糞
2。匂いを嗅いでチェックする糞
3.食べたい糞(こっちが油断すると食べちゃう。。)
4.体に擦り付けたい糞

1・2はどうでもいいんだけど、3・4に当たるとこちらは最悪。
やめなさい!って引き離しても既に手遅れ・・・な場合もあるし。
おそらく糞の主の種類によって反応が違うんだろうけど、わかんないんだよね~。
困ったもんだ。

2010年10月19日火曜日

下界へ

昨日、久しぶりにこずえちゃんが来たので下界へ用足しに出たらなんだか疲れた。
山にばっかりこもっていると人ごみ?が疲れるようになるのか?

昨日はスーちゃんが散歩中に2度目の「体に喜んでうんこ(けだものの)をつける」失態。
最初はみさぶと数年前の散歩中にやられた。そんなこと今までどの犬にもされたことがなかったから、最初は土に体をくねくねなすりつけるスーちゃんをみて、「珍しいね、かわいいね」なんて言っていた。
起き上がってぶるぶるしたら、うんこくさ~。。。。最悪だった。
スーちゃんはとっても得意げでうれしそうだったけど。

今回は二度目なので、やつが首からスライディングしたときの得意そうな顔を見てぴんと来た。
すぐに引きずってやめさせたけど、首に最初についた分はもうどうしようもない。洗うしかない。
私が洗うわけじゃないけど。

2010年10月17日日曜日

ブログの利用法

もともとこのブログはタイで働いているときに、タイをお伝えする為にはじめたのが目的だった。
その後、その仕事を辞めたので、ほとんど更新されないまま放置された。
が、なにせ遊牧民的遺伝子が騒ぐ私としては、移動の度に国が変わる。荷物の移動も面倒だから
スーツケースに入るだけ入れて、後は全部捨てる→現地で必要なものだけ調達。という生活をしてきた。
そんな時、だんだんかさばるけど捨てるのがもったいないのが、日記。前はノートに書いていた。
毎日書くわけではないけど、後で読み返してみると「おお!そういえばこんなことがあったな。とか、気がついたこととかが、え?!こんな前から私こんな良いことを自分で言っているのに、何で忘れて又同じようなことを繰り返したかな~?」ということも多々ある。
で、このブログを個人的日記代わりに再活用することにした。
便利だよね。写真は持ち歩かなくてもフェイスブックに入れればいいし、日記はブログに書けば良いもんね。

で、最近ブログの新たな活用法に気がついた。
最近は、多くの人が自分の日常とかをブログに書いている。これもまさにそうなんだけど。
で、キーワードで検索していくと、自分の興味のあることを書いている人の日記の中に入っていけるみたいなものだ。これは、とっても他人・社会を理解する上で役にたつ。

奇人・変人の類としては、昔から結構自分の興味のあることと他人のそれが一致しなくて、宇宙人気分のことも多々あり。。。涼子ちゃんによると、中国にいるとき私は「はやく人間になりたいよ」みたいなことを言っていたらしい。。。なんだ、それは。。。

これからも、他の人のいろんな価値観や、生活を理解する為にブログは役に立つね。
今年、約半年日本でTVを見まくったのも良かった。よくわからなかった最近の日本がある程度理解できたから。ドラマにも国民性ってかなり出るもので、日本・韓国・中国・台湾なんかのTVドラマを見比べると面白い。歴史ドラマも各国のものを比べるとその国独特の今に続く価値観・民族性がどこから来ているのかわかってかなり勉強になるものだ。

2010年10月16日土曜日

定義

そもそも、何をもって私が「奇人・変人」と言われることが多いのか?
客観的に分析してみると、おそらく全体的な価値観が大多数の人とずれている部分が多いということじゃないだろうか?と思う。

価値観が変わっている→人は基本的に自分の価値観にしたがって行動する→行動が大多数の人から見た場合、変わっているので、何で私がそんなことしてるのか?したいのか?理解しがたい→奇人・変人の類に分別される。という流れじゃなかろうか?

私が、自分の類友と認識している人たちも、おそらく上記の理由で私は奇人・変人の類に分類したんだと思う。あと、付け足すとすれば、基本的に一匹狼的で、集団行動を好まないタイプが多いかな。
自分のやりたいと思うことを優先すると、それを自分と同じく面白いと思ってくれる人が少ないから、基本的に集団行動にはならなくなるしね。逆に言うと、大多数の人が興味を持つこと、大切だと思うことにあまり価値を見出さないということか。

涼子ちゃんを「変態」と定義したのは、彼女の性的嗜好?についてね。
私も自分のそれが一般的とは思っていないけど、変態ではないと思ってる。
彼女は、一見全うな社会人だ。人が困惑するような、変な行動?をとることもない。
チベットに一人で行って遭難しかける位だろう。

では、私の価値観って何なのか?ということになると、「おもしろいか、そうでないか」が判断基準。
何かをやる時、決断すると時に他の要素も多少は考慮するけど、「それって面白い?」が一番大切。
何でか自分でも理解不能だけど、私は辺境マニア。アジア~東南アジア~南アジアの辺境に行くと意味もなくわくわくしてくる。観光をするわけでもなく、ただ地元民と一緒に地元のマーケットの雑踏に混じってるだけなんだけど、これを定期的にしたくなる。

あと、自分の人生を、「最悪が最高」の掛け声の元、ネタにして笑い飛ばすのが大好き。
これは涼子ちゃんも同じだと思う。だから多少「危険かも?」と思っても、「ネタ的に面白い」と思ったら
ロシアンルーレット的に楽しんでしまう。というわけで、変なところに出没して、変なことに巻き込まれて痛い目にあったりもする。でも、所詮「人生のネタ」だと思っているのでのど元過ぎると忘れてまた同じことを繰り返す!

自分が女性であることは自覚しているんだけど、基本的に中身はおじさん。
外見を忘れて行動すると、やっぱり、痛い目にあう。そんなときに思ったことは、
「30代になれば、せめて外見がおばさんになればもう少し楽になれるはずだ」。

涼子ちゃんと、「もう30だからいいよね!」とお祝いにやったことは、
バンコク・タニアのゴーゴーバーで、若い男の子たちが、白いパンツ1枚で番号を点けて出てくる店に行って、怪しい白人のおっさんと、金持ちタイ人マダム(60代)グループに混じってエンジョイ!
さすがにお持ち帰りはしなかったけどね。。。

2010年10月15日金曜日

類友②

中国留学時代に知り合った変態、涼子ちゃん。
彼女は私を「奇人・変人の類」と定義するが、私は彼女を「変態」と定義する。

その変態との最近のメール。年末どおする?何とかすたんに行く?のやり取りの後。
まず、彼女が「新米はもう取れたか?稲刈りの手伝いなんかしてんの?」ときた。

残念ながら、家は農家じゃないので稲作はやってないのよ。
地元農家から買ってるの。
しかも今年の私はざっつ居候!いえーい!バージョンだから、
「くその役にも立たない30女」を決め込んでるわよ。
と、私。


笑える。
年齢と境遇を開き直った時点から「くそ」になるのだな、きっと。
まだ30歳前半やから「うんこちゃん」くらいにしておこうか。
このあいだ父と話してて、
「私がもう少し歳をとって、おじさんになったら・・」って言った自分に笑ったよ。
と、涼子ちゃん。

確かに最近、おばさんなんか卒業して、もうおじさんに片足突っ込んでる自覚はある。

涼子ちゃんとはおばかな20代前半を「最悪が最高や」っていう彼女の掛け声で楽しんだ仲。
2年前の年末にタイの辺境、ミャンマー国境で一人地元民に混じって違法国境越えを間違えてしてしまった
私に日本から電話を掛けてきた彼女。
日本では既に年越し済み。タイはもう少しだった。

いきなり、「ふふふふふ。。。出来なかった~。決心した今年中のプロポーズ出来ずにご飯食べて戻ってきた~」って電話だった。
11月にタイのわたしのところに遊びに来てて、例の黄色シャツ空港のっとりに巻き込まれて1週間ホテルで待機した後、「もう、タイになんか来ないわ」と言い残して帰っていった。滞在中に「今年中にプロポーズするで~」って言ってたのに、出来なかった報告だ。
そもそも、自分からプロポーズするで~っていうのも、既にオジサンっぽい。収入も彼女の方がいいらしいしね。。。

去年のクリスマスに一人ネパールをうろついていた私に酔っ払った彼女から電話が来たこともあったな。
やっぱり持つべきは、「いつまでも結婚しないでおじさんになりつつある同類」だね。
人生にたまらない笑いを持ち込んでくれる。
今年の年末はどこで彼女のどんな電話を受けることになるのかね?

2010年10月14日木曜日

奇人・変人

友達とのメールのやり取りで、恒例の「年末どこ行く?」がそろそろ始まった。
別に一緒にどこかに行くわけでは必ずしもないんだけど、行きたい場所が同じなら、一緒に行こうというくらいのうす~い計画。

今年は、どこか田舎はどお?(私)
田舎って、どこか?(友)
なんとかすたんのお国はどうよ?(私)
なんとかすたんは興味ない(友)
もちろんジョークだけど(私)
奇人・変人がいうとジョークに聞こえない(友)

このメールのやり取りから、最後の言葉で昔の出来事を思い出した。
中国で留学をしていたときのことだ。
仲良くしてた韓国人の子(Mとしよう)が、私ともう一人の友達が実習で半年留守にして、戻ってきた後になんだか変なことになっていた。
例えば、朝早く私の部屋に怒鳴り込んできて、「大変だ。●●があんたの上着を勝手に自分のものにして、あんたにのろいを掛けようとしてるから、早く上着を取り返しに行かないと」とかまじめな顔でいう。6時前だ。はあ?と眠い私を無理やり引っ張って、●●の部屋に引きずっていく。もともと「奇人・変人」タイプだから、又変な事してると思ってしばらく付き合ってたんだけど、どうやらマジで●●の部屋に怒鳴り込むつもりだとわかった。とりあえず、「ちょっとまってよ、あの上着は私があげたんだから、いいんだよ。心配しないでよ」と言ってその場を収めた。
午後、もう一人の友人が私に
「ねえ、今日のあささあ、Mが又変な行動してたんだけど」
「あんたにも?何?」
「え?あんたにも?なんかね、変な手紙持ってきたの。この世は黒と白だとか、光がどうだとか、わけのわかんないことが色々書いてあって。しかも朝早くにね。変だよね」
私も今朝方起こったことを説明。二人で「変だけど。。。。。いつもの悪ふざけの違うバージョンだよね。。?」ということでとりあえず話をやめた。

その後もいろんな人からMが一晩中お経らしきものを唱えてる声が聞こえたとか(彼女は無宗教)、「ねえ、M大丈夫?この前自転車乗りながら、私は誰だ?何をしてるんだ?とか騒いでたよ」とか情報が入ってきた。
とりあえず、悪ふざけはやめるように注意すると、私たちがいない間に韓国人同士で色々あったんだと言ってきた。共同洗濯場で服をめちゃめちゃにされたとか、被害妄想的なことを。
これは、Mらしくなかった。とても明るくて人がよく、韓国人っぽくない彼女にそんなことをする韓国人がいるとは思えない。

そんな感じでとりあえず状況を見守っていると、ある日外国人管理の先生から私の部屋に電話が来た。
「Mと仲良いって聞いたから聞きたいんだけど。。。M,病気じゃない?」
「何かあったんですか?」思い当たる節がないわけではない。
「Sホテルの入り口でね、1週間くらいH(韓国のニューハーフスター。Mは彼女の大ファン)が来るから待ってるんだっ言って動かないらしくて、ホテルから連絡が来た。最初はロビーにいたんだけど、怪しいから外に出したらしい。それでも動かないからこっちに連絡が来たのよ」

Mのお兄さんは中国人と結婚してこっちにいるので、彼の連絡先を教えた。
今までの変な振る舞いは、やっぱりジョークじゃなかったのか、とここで気がついた。
元々一風変わった子だったから、変なことをしても何かの冗談だろうと思い込もうとしていた。
だって、そうじゃなかったら本当にまずいことになってるってことだし。
実は、もう一人の友人と彼女の症状から、もしかして統合失調症じゃないかって話をしていた。
だけど、そういう病気にかかるタイプにはどうしても思えなかった。
それで状況を見守っていたら、ついに警察が出てきたか。。。現実を無視するわけにはいかなくなった。

嫌がるMをお兄さんと説得し病院に連れて行ったらやはり、統合失調症。
何でこんなになるまでつれて来なかった?と言われたらしい。
だけど、お兄さんも「いつもの悪ふざけ」だと思っていたらしい。みんな、そう思っていた。

実は途中から、その目にやどる光が尋常じゃないことには気がついていたんだけど、見たくないものを皆が見たくなかった。私がいた留学生寮には変なジンクスがあって、毎年留学生のうち1人が死んだり、おかしくなったりすると聞いた。最初は信じなかったけど、5年もいるうちに、確かに毎年誰かがおかしくなっていくのを目撃してきた。人がある一線を越えたとき、どんな目をするかも知っていた。Mがそうなっていることも本能的にわかっていたんだけど、中々認めたくない現実から人は楽観的に目を背けようとすることを実感した。

そのあと、客観的に見たらおそらく多少「奇人・変人」の気がある私も何かあっても発見が遅れるな、と思ったりもした。もう一人の友人と「正常と異常の境界」について話したりもした。彼女も多少奇人・変人の類なので二人でリアルに落ち込んだ。

Mはその後、病院に行かせた私たちを恨んでた。「よくも私にこんなことをしてくれたな」とまで言われた。
だけど入院中に、私たちに会いたがっているとも聞いた。これが最後の年だったので、そこを去る前に会いに行ったら、「あんたを許せないけど、あえなくなるのは寂しい」。

それからMは両親の元に帰り、しばらく療養。半年後位に又戻ってきたけど、一人暮らしは難しいみたいでしばらくしたら留学は諦めて国に戻った。たまに中国から電話をしたりもした。3年後くらいには、「あの時、私おかしくなってたから、あんたを恨んでた。でも、今はそれが間違いだったことがわかってる。私、おかしかったの。今でも時々そうなるし、社会復帰出来るかわかんないけど、前よりはましになった」とメールが来た。電話で話す声は前より高くて不安定だ。いい時は少し落ち着いた昔のMの声に近くなっている。

何度か私のところに気晴らしに遊びに来たら?と誘ってみたけど、まだ一人で中国に来る気にはなれなかったみたいだ。

「奇人・変人」っていうキーワードから、久しぶりにMのことを思い出した。

2010年10月13日水曜日

久しぶりにイラついた

今日は久しぶりにイラついた。

①某保険会社に海外旅行保険のことで問い合わせをしたら、毎回同じ質問をしてるのに、
「申し訳ありません。調べて掛けなおしますので少々お待ち下さい」を4回もやられた。同じ担当者。
何度言ったら私の質問の意味がきちんと理解できるんだ?!恐るべし、長岡支店。
何度も的外れな答えをしてきて、「いえ、ですから私の質問は~~~~なんですが、わかっていただけますか?」と最後には言ってしまった。で、ようやく回答に結びついた。海外だったらここまでイラつかないけど、日本って事で私の期待が高すぎたのか?!

②7時に何気なくつけていたTV番組で190KGに太ってしまった女性のダイエットプログラムをやっていた。普通は見ないんだけど、190KGってあまりにもすごすぎて目が離せなくなって結局2時間見てしまった。(彼女のダイエット変身後を見せるまで)
だけどこの番組、CMをはさんで同じ映像を何度も何度もリピートして時間を稼ぎ、なかなか変身後に行き着かない。こんなの30分でまとめられるだろうと言う内容をどうどう2時間もかけて放送してる!全くいい加減にしてほしい。それに付き合って2時間も費やしてしまった自分にもイラついた。
基本的にせっかちなので、結論に飛びつきたい私としては、こういうのが一番苦手。


結論:イラついた理由
私はせっかち。待たされるのとか、まどろっこしいのが大嫌い。
そんなこと知ってるけど、人間の本性って簡単には変わらないんだよね。記憶がなくても同じ反応するし。

2010年10月12日火曜日

記憶よ、さようなら②

ここ数年、たまにこんなことは起きていたけど、またやった。
前に読んだことのある本を、忘れて又読みかけた。。。
途中で、「あ、これ読んだことある」と思い出した時の無駄をした感覚!
別に今は暇だからいいんだけど、それにしてもくやしいじゃないか!?

しかも、暇だから読んでるので図書館で借りた本だからまだいいけど。
笑えるのは、同じ図書館に数年ぶりに行って、忘れて選ぶ読みたいと思う本も同じってこと。
だって、5冊借りて、そのうち3冊はダブってたんだよ。我ながら、参るね。
だけど思うのは、同じ状況におかれると、私は時間は経ていても私は同じ行動を取る=同じ反応をする=この反応こそが、私の個性?本性?
これは私だけじゃなくて、他の人にも当てはまるんだろうけど。
人って記憶や経験で行動するんじゃなくて、もっと本能的な何かで反応した結果が過去になっているのかとも思ったりした。

ここから暇な私の妄想開始。
過去世の記憶っていうのも、こんなもんなのかもな~と考え出した。
脳みそのどこかには残ってるんだけど、忘れてて、何かの拍子に思い出す。
過去世と現世の過去って言うのは、違うものだけど、とっても似ている気がする。
もしかしたら、同じなのかも。。。?

2010年10月11日月曜日

これって妄想?

北朝鮮の後継者デビューのニュースがここ数日放送されている。
数年前に一度脱北者の著書にはまって読み漁ったことがある。
最近は韓国と中国の歴史ドラマを見て、北朝鮮の変な考え方は朝鮮半島の今までの歴史を
なぞっているだけだと判明。そしてそれは中国のやり方と多くの共通点がある。
中国的思想については中国生活が長い私には理解しやすい。

今日ヤフーニュースか何かで、今回のションウンさんデビューで人民にここ数十年で最大級の
食料品の配給があったという記事を読んだ。だから人民は喜んでいると。

で、私はこう思った。
「だから今回あんなに外国メディアを入れたのか。きっと一人いくらってものすごい取材費を要求したんじゃないだろうか?それで人民に配給が出来たんじゃないの?」

これって、私の妄想?
もちろん、後継者のデビューを世界に広めるっていうのも目的の一つなんだろうけど、
対人民政策で、配給を豪華にする為には現金が必要だよね。
それを外国メディアに取材を許可するという形で入手し、一石二鳥!とか。。

類友①

類は友を呼ぶと言うけど、私の知り合いには奇人・変人の類がちょっと多い。
まあ、ゆる~く、「多少の変わり者」としておこう。

その中の一人、ジミーから久しぶりにメール連絡があった。
私が前に「最近飼い始めたというアヒルの写真がみたい」と言った(らしい)。
その写真とともに、犬と彼の母親の写真も送られてきた。
ジミーは自分の母親が苦手だと前に言っていたので、嫌がるかと思ったけど、事実だからあえて
「お母さんに似てるね。一目見てわかったよ」と送ると
「マジでやめてくれ。母に似てるといわれるくらいなら、犬かアヒルに似てるって言われるほうがまだましだ」と来た。

ジミーがどんな風に「多少変わっているか」というと、多分個人の趣向の問題なんだけど、あんまり人が興味を抱かないものに興味を抱くというところか。私もそうだけど。あと、物言いがおかしいんだよね。母親に似てるくらいならアヒルのほうがまし、とかもそうだけど。

2年ほど前に両親の移民先のアリゾナにジミーも移民した。(ジミーは香港人)
そこまではいいんだけど、その後言ってきたことがこれ。
「アフガンに行ってみたくてさ、エンジニアとして志願したんだけど、断られたんだよ。まだ移民して日も浅いからとか理由はあるんだろうけど、誰も行きたがらないだろうに、行きたいって言う人を何で断るか」。

「そもそもなんでアフガン行きたいの?」
「自分でもこれといってよくわかんないんだけど、例の”お尻がむずむずしてきてどこかに行きたくなった”って感じだよ」。

又別件。
「今の職場のボスは俺たちみたいな移民を安く使って上手く設けてるぞ。ケーブルテレビの設置とか、家の中の電気関係のことにうとい主婦向けに俺たちエンジニアを派遣するんだけど、君好みのインド系・パキスタン系のモデルみたいなハンサムばっかりが働いてる。これで用はなくても暇な主婦があれこれをお呼びを掛けるってわけだ。最初はここ、モデルエージェンシーかと思って居心地悪かったよ」

前に上海で再会したときには、家でご飯を作ってくれた。
上手いんだけど、量が半端じゃない。2人でこんなにどうやって食べるんだよ!?という量を作っておいて、
「あんまり食べてないな。減らないじゃないか」
。。。無理だろ。。。軽く6人分はある。量を考えて作ってくれ。

まあ、妹の婿に来てくれと話をした事があるくらい、いい人ではあるんだけどね。

2010年10月9日土曜日

過去の記憶よ、さようなら

高校卒業後、アジア辺境を移り住んで?いたので基本的に一人暮らしが10数年になる。
今年は仕事を辞めてから、次の仕事までの期間が予想以上に開いたので、実家で「座敷わらし」に間違われながら居候を決め込んでいる。

これが、以外にいろんなことに対する気づきをもたらした。
まず、私は記憶力がとってもよかった。(昔はね)
だけど、記憶と言うのは、現実認識と同じく人によって同じ事を体験しても、同じ記憶を共有するとは限らないということに、気がついたのだ。
数ヶ月親のところに居候したおかげで、「昔こうだったよね~」、とか「あのときさあ~」という話をするときに、お互いに記憶に違いがあるということと、相手が覚えているのにまるで覚えていない自分の言動などが明らかになった。もちろん最初はお互いに自分の記憶が絶対だと主張するんだけど、あまりにもそれが多いので、私は上記の結論に至った。

しかも、もともと遊牧民的性質なのか、成人後一つの場所にあまり定住していない私としては、
引越しごとに私物を始末してきた。(郵送費のほうが高いから、現地で新しく調達出来るものはそうする)全く知らない土地に行っても友達も現地で新しく見つければいいし、そのときの私にふさわしい人に新しい場所で出会えるし、もちろん場所を離れてからでも続く友情は続く。

そんな風に、どうやら、いつの間にか記憶も。。。。あんまり過去の事を覚えていなくなったらしい。
最近は、まじめに思い出さないと昨日何食べたか思い出すのも大変(これって、やばい?)

ところが最近はまっている仏教の教えでは、過去にはこだわる必要はなく、今しかない、と言うようなことを言っている。

過去を記憶しないと言うことは、それはそれでいいことなのかもしれないと思う今日この頃。
仕事に影響するような記憶喪失はまずいけどね。

2010年10月7日木曜日

ゆみ3とぞみ3

長いこと放置していたので、とっくに失効していると思っていた郵便局の通帳がまだ使えた。
CITIバンクの日本円を全部こっちに移してしまおうと思い、通帳の有効性を確認しに郵便局へ。

ところが、カードは数年前に「もう郵便局使わないからいいや」と切り捨てた覚えがある。
通帳と判子があれば郵便局からは引き出せるが、ATMの場合、暗証番号が必要。
そんなもの、当然覚えていない。
可能性のありそうな番号を試してみたが、駄目。

番号照会の申請書類を出さないとどうしようもない。
その書類には、身分証明書も添えて出す必要があるのだが、そんなつもりでなかったのでもって行ってなかった。実は書類に押す判子も持っていっていなかった。
が、不幸中の幸いにゆみ3が持っていた。

この書類を出す必要があるというくだりまでで既に何分にもわたって局員の方を相手に
騒いでた。「え?そんなの必要なんですか?もってな~い。番号も全く覚えてないし、カードは昔切って捨てた記憶が。。。」などなど。困ったお客の見本みたいなものだ。

ようやく判子があるから何とかなるか、と思ってゆみ3が判子を押すと。。。。
上下逆。。。。

二人で自分たちのあまりにものていたらくに、私は苦笑いで崩れ落ち、ゆみ3も
「あら、反対だわ。どうしよう。うふふ。。。」

笑いすぎた上に、用事を足すことも出来ないまま帰ってきた大間抜けな1日だった。
疲れがどっと来た。。。

自分にね。。!

2010年10月6日水曜日

シーザーミラン!

カリスマドックトレーナー、「シーザー・ミランの犬の気持ち分ります」
がFOXで始まった。楽しみにしていたので、早速見た。

結果、とっても反省した。自分の犬に対する接し方に。
シーザーいわく、犬の問題行動を直すコツは、「犬にはリハビリを、飼い主には訓練を」だそうだ。
全く、その通り。
犬はその瞬間に生きているので、過去を引きずらないそうな。
つまり、状況に反応する。相手に反応する。その二つが変われば、犬は即座に変わる。
シーザーと一緒にいるだけで、犬が本当にすぐに変わっていくのには驚かされる。

今日早速散歩のときにスーちゃんへの接し方を変えてみた。
私のスーちゃんに対する気持ちは、「お友達」。
でも、それはいけないらしい。犬はお友達である前に、家族である前に、犬として扱ってあげないといけないらしい。友達だと思っていると、犬は状況をコントロールしようとする。
正しい犬への接し方は、「私はこの犬グループのボスであり、あなたは群れの仲間であり、ボスである私に服従しなさい」。この関係がしっかり築かれれば、犬はあなたの指示に従い、問題行動をやめるのだ。

スーちゃんは基本的にそんなに問題行動のない、素直な気のいい犬だ。
だけど、猟犬だから散歩に行くときに藪に入ってがさがさして、ジグザグ歩いて、人と紐で繋がっていることを考えたりはしない。だからたまに引っ張られると痛い思いをすることがある。

今日は、まず紐を短く持って、「まて。お座り」「ゆっくり」と威厳を持って指示したら、
なんと!!!!スーちゃんが言うことを聞くではないか!?

今までわさわさ犬だったのは、私の態度が問題だったのね、と反省。
あんなに素直でいい犬なのに、12年も「馬鹿犬」扱いされてたのは、飼い主のせいだったのかと深く反省。。。。

すごいぞ、シーザー・ミラン。
次回も楽しみだ。

TV的に一番面白かったのは、男の子に対して恐怖心を持ってしまった犬のトラウマを克服させる訓練に、シーザーが自分の息子を連れてきて、こう紹介したこと。
「彼らはただの子供ではありません、僕の子供たちです!」
笑った。。。!
「つまり、小さい頃から犬とずっと接してきているので、犬との接し方を良く分っています」
まあ、そういうことなんだけど、それを先に言わないから笑えた!

2010年10月2日土曜日

日本の常識、世界の非常識

タイトルにあるような、タイトルのTVを見た。
コンゴ共和国の治安の悪さにびっくりしたんだけど、現地コーディネーターか誰かが言った言葉でインドを思い出した。

「日本では、警察官、セキュリティーなどは私たちを助けてくれる人としての認識があるが、ここでは=強盗集団と思っていい」。
これ、インドでもそう。
州から州への田舎道なんかで途中で警官に車を止められたら最後。
いちゃもんをつけられて、賄賂を渡すまでそこを通してもらえない。

一度道が分らなくなったので、インド人に「あの辺に警官がいるみたいだから道を聞いてみたら」
と、日本ではごく普通のことを言ったら、「はあ?何言ってるの」って感じで、警官=強盗集団と
言われた。また、あほな事言って。。。と思ったけど、これが事実で私は憤慨。
でも、憤慨したところでどうしようもないんだよね、インドでは。

電気だって、停電するというより、「1日のうち数時間だけ電気がつく」と言ったほうが正確な地域も多い。
でもそれは、たいてい地域住民も悪いのだ。
電気代を払わなかったり、盗んだり、ごまかしたり。結局全うに送電しても元が回収できないからそういうことになるのだ。まさに、自業自得。
南インドは比較的人の質がいいので、電気もそれなりに(インフラ整備がされている場所なら)送電されているのにね。

カナダのトラちゃん

私の初めての(もしかして、最後の)甥っ子トラちゃんはカナダ人だ。
なので、と~ってもカナダっぽく「おおらかに」育てられている。

スカイプごしに、「目開いた顔が見たいから起こしてよ」といえば、
たてに抱かれてゆさゆさされて無理やり起こされる。
退院して家に始めてきたその日に、3匹の犬と1匹の猫がわさわさと寄ってきてにおいかぎ&なめなめ。

しなびて落下したへその緒は、犬が食べたらしい。。。。
ゆりかごに入りたい猫は、いつもみさぶが追い払う。
追い払いきれずに一度入られたらしいが、現時点で猫とトラちゃんの体重はほぼ同じ。
つぶされたら、危ないよ~。

2010年9月30日木曜日

ゆみ3の暴走②

今日はゆみ3、週一の山篭りからお買い物の日。
なぜか無性にあんこが食べたくなっていた私は豆大福を買ってきてもらって満足。

ゆみ3は、CMで見たという「簡単に使えてべたつかない」ペアスプレーを買ってきた。
「さっき使ってみたら、良かったよ。下から吹きかけるんだって。
「下から?」
「よく使い方読んであんたも使ってみれば」というわけで、読んでみると。。。

「まずドライヤーなどでブローをしたあとに、下から吹き付けるときれいに決まる」
。。。。

「ゆみ3、これ大前提が間違ってるよ。私らには使う資格ないぜ~」
「?」
「ちゃんとブローした後にしたから吹き付けるんだよ。そんなめんどくさいこと、しないじゃん」
「いいのよ。このままでブローしてないけど、したんだと思えばいいのよ」。

そんな風に現実認識を勝手にしても、事実は変わらないよね。

2010年9月29日水曜日

ゆみ3の暴走

昨日中学時代の友人が遊びに来た。
雨で外にもいけず、だらだらとお茶を飲みながらしゃべっているとゆみ3が割り込んできた。

ゆみ「ねえ、こずえちゃん。山葡萄をつるからはずす作業、したくない?」
こずえちゃんは、A型気質で細かい単純手作業が大好き。
前に来たときは嫌だといっている私も無理やりこずえちゃんがやりたいというから竹の子の皮むきに巻き込まれた。先のほうを剥くのは神経を使うのでO型気質の私には向かない。
下のほうを私が剥いて、上の細かいところを彼女が剥くように作業分担した。
おかげで、私の指先は傷だらけ。。。

今回は巻き込まれないように、
「やめなよ、私は絶対やらないよ」
「のぞみはヨガやってれば」ということで、ゆみ3の策略にはまり、友人は何しに来たんだか?
結構大量の山葡萄のツル取り作業を終わらせ、達成感に満ち溢れて帰っていった。。。?!

2010年9月28日火曜日

笑いのつぼ

昨日カナダのみさぶとスカイプ中に私の笑いのつぼにはまる出来事が!
まゆみ3が、この前送った郵便が届いたかとみさぶに確認。
最近のまゆみ3の怒りは、「あいつは用事があるときしか私に連絡してこないくせに、送ってもらったものが届いても、届いた知らせもありがとうも言ってこない!」。

で、みさぶは普通に、「届いたよ」
まゆみ「。。。。。」
この沈黙の意味を察したのか、みさぶ「。。。。ありがと」。
そのあとまゆみが隣の私の顔をみて、「届いたらさっさと連絡しろってお前からよく言っておけよ!!」
みたいなものすごく怖い無言の重圧を感じた私。

「あ、みさぶ。まゆみ3がね、あんたはいつも用事があるときしか連絡してこないくせに、届いても報告も、ありがとうもメールの一つも無いっていつも切れてるわけよ。肝焼くと、たちが悪いからちゃんと連絡したほうがいいよ」。
この辺で、形勢不利を感じたみさぶが画面の向こうでなぜか急にエアダストスプレーを持ち出し、しゅわ~、しゅわ~、ぷしゅ~、ぷしゅ~とその辺のほこりを掃除する振りをしだし、聞こえない振り。

それを見たまゆみが、「1-3そっくりじゃない!何かまずいことが起こるとモップもってきゅっきゅし出して、何も聞こえない人になるのよ」。

みさぶはその間もスプレーをあちこちに向かってぷしゅー、ぷしゅー。
あまりにもシュールなこの光景が私の笑いのつぼにはまり、うけうけと笑い続け、その後頭痛までしてきた。

2010年9月25日土曜日

事なきを得た遭難

昼ごろおばあちゃんからの電話。
「今そっちに消防車とか救急車とかがぽわぽわと5台くらい行ったけど、何もないか?」
「ないよ。うちじゃないよ。でもなんだか調べてみる」。
「お前たちに問題が無いんなら、まあ、くわんけいない(=関係ない)けど、調べてみろ」。

1-3がうろうろと外を俳諧。
「山で遭難があって、消防が来たらしい」。ヘリも飛んでた。

おばあちゃんに電話すると、おじいちゃんが出た。
「さっきの件だけどね、やまで遭難があったんだって」
「そうか。車が2台もわんわん行ったから心配したんだ」。
「2台か?5台か?おばあちゃんは5台って言ったぞ」
「。。。。ふふふん、まあうちにくわんけいなければそれでいいんだ」。

再び暇な1-3が外を俳諧。
「50M落下したけど、怪我ですんだらしい」

ゆみ3。「運のいい人ね」。

私の心のつぶやき。「こんな危険がある上に疲れるのに、何で山なんて登りたいんだろう?」。

2010年9月24日金曜日

空亡

四柱推命で言うと、私は今年空亡の年にあたるらしい。
簡単に言うと、「何をやるにもいつもの3倍のパワーが必要。物事が思うように進まないからって焦るとどつぼにはまるから気をつけよう」という年らしい。

まさに、そんな感じ。
8月中に始まる予定だった中国での新しい仕事は今になっても進んでなくて、
来月中に始まればいい方って言う様子。
一瞬めんどくさくなって、このまま「まあ、いつかは始まるさ」スタンスで放置しようかと思った。
思ったけど、そうすると年内に始まるかどうかも怪しい。
これは長年中国にいた「感」というので、なんとなく分ってしまう。

空亡って「とりあえず流れに任せてみることを学びなさい」って年なのかもね~。

2010年9月23日木曜日

玄米

コシヒカリの新米が出たので、楽しく玄米のまま食べてみた。
2日続けたら、案の定胃が痛くなった。
玄米は歯ごたえがあって、香ばしくてそれだけで食べておいしい。
食べれば食べるほど、もっと食べたくなるけど、そんなに胃袋は大きくない。
昨日は胃の裏が重くて重くて、マッサージ器で背中と胃をほぐす羽目に。。

昨日は普通の新米を食べた。胃にはこっちのほうがやさしいね。

2010年9月21日火曜日

保険について

昨日見たテレビ。
ムーア監督がアメリカの保険制度を皮肉った映画。
最後はアメリカで無保険のため治療を受けられない数人を連れて
キューバに行って「社会主義国の無料治療」を受けさせている。
笑えた。皮肉り方が受ける。

だけどここにも「地上の地獄」の縮図を見た気がした。
それはインドだけにあるんじゃなくて、アメリカにもあるんだってことに改めて気がついた。
そもそもあの国のなんかしっくり来ない「偽善的態度」に疑問を覚えてアメリカじゃなくて
中国に行ったような気もする。

昨日今年の初!新米を玄米で食べた。
おいしかった。さすが魚沼のコシヒカリだ。

2010年9月17日金曜日

インド

面白いブログを見つけて読んでいたら、インドにまつわる記憶がよみがえってきた。
http://plaza.rakuten.co.jp/yoganikki/diary/?ctgy=3

このブログにも書かれているが、インドは強烈なのだ。
あんまり長く居すぎると、いわゆるこっち(俗世)の世界(=今までの生活)に戻れなくなってしまう。
深い部分でのモラルの崩壊が起こるとでもいおうか。。。
同じものを見ても今までと同じように見えなくなってしまうのだ。
あそこまで濃く「生」そのものを表現している場所って無い気がする。
地獄と天国の縮図がインドのあらゆるところで見られる。(気がする)

私は合計1年くらいインドにいたけれど、こっちの世界に戻ってから半年、何もできなかった。
もちろん日常生活を送っていたのだけれど、正直寝転がって指を1本動かすのもだるかった。
あんなふうに脳みそを思いっきりぐちゃぐちゃに振られた気分になったことはない。

戻ってから数年たつけど、今だインドには足を踏み入れる決心がつかない。
ネパールやブータンには行った。インドにもいつか又行きたい、というか行く必要があるし、
行くことになるのはわかっている。だけど、まだ行けない。それはきっと、まだ時が熟してないから。
2004年に最初にかの地に足を踏み入れたときも、「行きたくないけど、行かなきゃ」という
根拠の無い思いに突き動かされて行った。そして、その時に起こるべくして起きた事があった。
インドに行ってから、直観というか、動物的感、または霊感みたいなものが高まった。
これがあまりにも暴走すると、俗世に戻れなくなりそう。
私はまだこっちに居たいから、やっぱりインドはもう少しお預けだ。

2010年9月15日水曜日

呪いの言葉?

今年は5月末から仕事を辞めて、日本の実家で居候生活をエンジョイ中。
次の仕事は決まっているのだけれど、まだ始まらないので仕事を探す必要もなく、至って気楽。

というわけで、かなり久しぶりに実家周辺の親戚たちとの交流が生まれた。
これが、笑える。なんでこの辺の人たちってこんなに面白いんだ?!

今日のネタは祖父の妹、あさのちゃん。
あさのちゃんの娘のところにお婿さんが来たのはすでに20年位前のこと。
佐藤姓になるはずが、やはり抵抗があったのか、「いつか変えるからもうちょっと待って」と今に至っていた。子供2人も高校生と中学生だが、父の苗字のままでいた。

ところが話をしていたら、「去年から子供も含めて4人全員佐藤に変えた」という。
あら、良かったね、と言うと、
「俺が(この辺の年よりは女性でも自分を俺と呼ぶ)子供が自分の名前を言うたびに、○○(前の苗字)じゃないよ、佐藤だよ、と子供の頃から言い続けていたから途中で変わっても何の問題もないよ」と言っていた。

あさのちゃんのすごいところは、自分がそうしたいと思ったことは、必ず実行すること。
こうやって子供に呪いの言葉?を掛け続けて、ついに自分の意思を達成したのか。。。と思った。
あさのちゃんの長女も子供のときから「お前は長女なんだから最後は家に戻ってくるんだぞ」と呪いの言葉?を刷り込まれ続け、その通りにお婿さんを連れてこさせている。

困ったことに、あさのちゃんは私に日本に戻ってきて欲しいらしい。
今みたいに、ちょこっと休暇とか仕事の間に戻るのではなく、ここで結婚して子供の顔をみせろ!という事だ。
いつも、会うたびにそれを言っている。今までは、「まだ言うか?」と言う感じだったけど、
これを見ているとちょっと怖い。私もあさのちゃんの呪いに掛けられないようにしないと!

今日のお言葉は、「首の周りの肉がたれてきてブルドックみたいになる前に早く結婚しろ」。
「肉なんて付いてないのに、垂れようがない」と反論すると、
「じゃあ、しわだ。お前のおばあちゃんは早くからしわが出てたぞ!そうならないうちに急げ」ときた。
もう笑うしかない。。。。

2010年1月7日木曜日

ネパール

年末に行ってきたネパールの写真。

http://picasaweb.google.co.jp/nozomi614/GZpiqB#


人が良かった!
意外にも、インド人や中国人より、ブータン人とかタイ人に近い
穏やかで誠実な人々だった。