そもそも、何をもって私が「奇人・変人」と言われることが多いのか?
客観的に分析してみると、おそらく全体的な価値観が大多数の人とずれている部分が多いということじゃないだろうか?と思う。
価値観が変わっている→人は基本的に自分の価値観にしたがって行動する→行動が大多数の人から見た場合、変わっているので、何で私がそんなことしてるのか?したいのか?理解しがたい→奇人・変人の類に分別される。という流れじゃなかろうか?
私が、自分の類友と認識している人たちも、おそらく上記の理由で私は奇人・変人の類に分類したんだと思う。あと、付け足すとすれば、基本的に一匹狼的で、集団行動を好まないタイプが多いかな。
自分のやりたいと思うことを優先すると、それを自分と同じく面白いと思ってくれる人が少ないから、基本的に集団行動にはならなくなるしね。逆に言うと、大多数の人が興味を持つこと、大切だと思うことにあまり価値を見出さないということか。
涼子ちゃんを「変態」と定義したのは、彼女の性的嗜好?についてね。
私も自分のそれが一般的とは思っていないけど、変態ではないと思ってる。
彼女は、一見全うな社会人だ。人が困惑するような、変な行動?をとることもない。
チベットに一人で行って遭難しかける位だろう。
では、私の価値観って何なのか?ということになると、「おもしろいか、そうでないか」が判断基準。
何かをやる時、決断すると時に他の要素も多少は考慮するけど、「それって面白い?」が一番大切。
何でか自分でも理解不能だけど、私は辺境マニア。アジア~東南アジア~南アジアの辺境に行くと意味もなくわくわくしてくる。観光をするわけでもなく、ただ地元民と一緒に地元のマーケットの雑踏に混じってるだけなんだけど、これを定期的にしたくなる。
あと、自分の人生を、「最悪が最高」の掛け声の元、ネタにして笑い飛ばすのが大好き。
これは涼子ちゃんも同じだと思う。だから多少「危険かも?」と思っても、「ネタ的に面白い」と思ったら
ロシアンルーレット的に楽しんでしまう。というわけで、変なところに出没して、変なことに巻き込まれて痛い目にあったりもする。でも、所詮「人生のネタ」だと思っているのでのど元過ぎると忘れてまた同じことを繰り返す!
自分が女性であることは自覚しているんだけど、基本的に中身はおじさん。
外見を忘れて行動すると、やっぱり、痛い目にあう。そんなときに思ったことは、
「30代になれば、せめて外見がおばさんになればもう少し楽になれるはずだ」。
涼子ちゃんと、「もう30だからいいよね!」とお祝いにやったことは、
バンコク・タニアのゴーゴーバーで、若い男の子たちが、白いパンツ1枚で番号を点けて出てくる店に行って、怪しい白人のおっさんと、金持ちタイ人マダム(60代)グループに混じってエンジョイ!
さすがにお持ち帰りはしなかったけどね。。。
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