2010年10月14日木曜日

奇人・変人

友達とのメールのやり取りで、恒例の「年末どこ行く?」がそろそろ始まった。
別に一緒にどこかに行くわけでは必ずしもないんだけど、行きたい場所が同じなら、一緒に行こうというくらいのうす~い計画。

今年は、どこか田舎はどお?(私)
田舎って、どこか?(友)
なんとかすたんのお国はどうよ?(私)
なんとかすたんは興味ない(友)
もちろんジョークだけど(私)
奇人・変人がいうとジョークに聞こえない(友)

このメールのやり取りから、最後の言葉で昔の出来事を思い出した。
中国で留学をしていたときのことだ。
仲良くしてた韓国人の子(Mとしよう)が、私ともう一人の友達が実習で半年留守にして、戻ってきた後になんだか変なことになっていた。
例えば、朝早く私の部屋に怒鳴り込んできて、「大変だ。●●があんたの上着を勝手に自分のものにして、あんたにのろいを掛けようとしてるから、早く上着を取り返しに行かないと」とかまじめな顔でいう。6時前だ。はあ?と眠い私を無理やり引っ張って、●●の部屋に引きずっていく。もともと「奇人・変人」タイプだから、又変な事してると思ってしばらく付き合ってたんだけど、どうやらマジで●●の部屋に怒鳴り込むつもりだとわかった。とりあえず、「ちょっとまってよ、あの上着は私があげたんだから、いいんだよ。心配しないでよ」と言ってその場を収めた。
午後、もう一人の友人が私に
「ねえ、今日のあささあ、Mが又変な行動してたんだけど」
「あんたにも?何?」
「え?あんたにも?なんかね、変な手紙持ってきたの。この世は黒と白だとか、光がどうだとか、わけのわかんないことが色々書いてあって。しかも朝早くにね。変だよね」
私も今朝方起こったことを説明。二人で「変だけど。。。。。いつもの悪ふざけの違うバージョンだよね。。?」ということでとりあえず話をやめた。

その後もいろんな人からMが一晩中お経らしきものを唱えてる声が聞こえたとか(彼女は無宗教)、「ねえ、M大丈夫?この前自転車乗りながら、私は誰だ?何をしてるんだ?とか騒いでたよ」とか情報が入ってきた。
とりあえず、悪ふざけはやめるように注意すると、私たちがいない間に韓国人同士で色々あったんだと言ってきた。共同洗濯場で服をめちゃめちゃにされたとか、被害妄想的なことを。
これは、Mらしくなかった。とても明るくて人がよく、韓国人っぽくない彼女にそんなことをする韓国人がいるとは思えない。

そんな感じでとりあえず状況を見守っていると、ある日外国人管理の先生から私の部屋に電話が来た。
「Mと仲良いって聞いたから聞きたいんだけど。。。M,病気じゃない?」
「何かあったんですか?」思い当たる節がないわけではない。
「Sホテルの入り口でね、1週間くらいH(韓国のニューハーフスター。Mは彼女の大ファン)が来るから待ってるんだっ言って動かないらしくて、ホテルから連絡が来た。最初はロビーにいたんだけど、怪しいから外に出したらしい。それでも動かないからこっちに連絡が来たのよ」

Mのお兄さんは中国人と結婚してこっちにいるので、彼の連絡先を教えた。
今までの変な振る舞いは、やっぱりジョークじゃなかったのか、とここで気がついた。
元々一風変わった子だったから、変なことをしても何かの冗談だろうと思い込もうとしていた。
だって、そうじゃなかったら本当にまずいことになってるってことだし。
実は、もう一人の友人と彼女の症状から、もしかして統合失調症じゃないかって話をしていた。
だけど、そういう病気にかかるタイプにはどうしても思えなかった。
それで状況を見守っていたら、ついに警察が出てきたか。。。現実を無視するわけにはいかなくなった。

嫌がるMをお兄さんと説得し病院に連れて行ったらやはり、統合失調症。
何でこんなになるまでつれて来なかった?と言われたらしい。
だけど、お兄さんも「いつもの悪ふざけ」だと思っていたらしい。みんな、そう思っていた。

実は途中から、その目にやどる光が尋常じゃないことには気がついていたんだけど、見たくないものを皆が見たくなかった。私がいた留学生寮には変なジンクスがあって、毎年留学生のうち1人が死んだり、おかしくなったりすると聞いた。最初は信じなかったけど、5年もいるうちに、確かに毎年誰かがおかしくなっていくのを目撃してきた。人がある一線を越えたとき、どんな目をするかも知っていた。Mがそうなっていることも本能的にわかっていたんだけど、中々認めたくない現実から人は楽観的に目を背けようとすることを実感した。

そのあと、客観的に見たらおそらく多少「奇人・変人」の気がある私も何かあっても発見が遅れるな、と思ったりもした。もう一人の友人と「正常と異常の境界」について話したりもした。彼女も多少奇人・変人の類なので二人でリアルに落ち込んだ。

Mはその後、病院に行かせた私たちを恨んでた。「よくも私にこんなことをしてくれたな」とまで言われた。
だけど入院中に、私たちに会いたがっているとも聞いた。これが最後の年だったので、そこを去る前に会いに行ったら、「あんたを許せないけど、あえなくなるのは寂しい」。

それからMは両親の元に帰り、しばらく療養。半年後位に又戻ってきたけど、一人暮らしは難しいみたいでしばらくしたら留学は諦めて国に戻った。たまに中国から電話をしたりもした。3年後くらいには、「あの時、私おかしくなってたから、あんたを恨んでた。でも、今はそれが間違いだったことがわかってる。私、おかしかったの。今でも時々そうなるし、社会復帰出来るかわかんないけど、前よりはましになった」とメールが来た。電話で話す声は前より高くて不安定だ。いい時は少し落ち着いた昔のMの声に近くなっている。

何度か私のところに気晴らしに遊びに来たら?と誘ってみたけど、まだ一人で中国に来る気にはなれなかったみたいだ。

「奇人・変人」っていうキーワードから、久しぶりにMのことを思い出した。

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