2009年7月16日木曜日

上条氏とスキナー氏




7月某日、「投資リッチの告白」の著者上条氏直々のレクチャーを聴くことが出来た。
すごいラッキー。

内容を簡単に整理すると、
①自分がお金持ちになる方法
→お金持ちとは?
→定義を「自分が余裕のある生活を送り続けるだけの資金が働かなくても入ってくる状態にある人」とする。
→ここで自分が必要だと思う金額を設定する。仮にここでは毎月50万円とする。
→ということは、1年で600万円必要となる。
→1年600万円を不労所得から得るには、もし年20%で運用できると仮定する。
→元になる種金は3000万円必要となる。
→運用利回りが、5%なら1億2000万。10%なら、6000万。40%なら1500万必要となる。
→というわけでまず、現実的な運用利回りと合わせて「自分がいくら作らなくてはいけないのか」を知ること から始まる。

②お金を増やすには?
→例えば私が100万円を銀行から20%の利子で借りるとする。すると私は20万円銀行に支払わなければ ならない。
→この借りた100万円を40%の運用益を出せる投資案件に投資したとする。すると私の手元には40万円 の収入が入ってくることになる。20万円を銀行に返済しても、手元にはまだ20万円残る。

③ここで面白いゲームをした。
 仮に私がトヨタの罰に投資をするとする。1株約10万円~30万円の間で変動しているのが現状。
 30万円を持ってスタートし、5回の取引で100万円以上にすることが目標。
 株価の数値は上条氏がその場で決定。私には先のことはわからない。

以下は私のプレー結果。
 
取引回数 株価 株数 現金 気持ち
1 10 3 0
2 20 3 0
3 30 0 90
4 10 9 0
5 30 0 270


取引回数 株価 株数 現金 気持ち
1 10 3 0
2 3 3 0
3 1 3 0 こう来たか
4 30 0 90 仕方ない
5 50 0 90 負けた


取引回数 株価 株数 現金 気持ち
1 3 9 3
2 1 10 0 軽くやられた
3 倒産 0 0 終わった →公的資金注入+30万
4 3 9 3
5 50 0 423 復活!


→現金の一番下の部分が最終的に私がこの架空の取引で手にした金額だ。
 1回目は270万円。2回目は90万。目標達成できなかった。3回目で423万。
 でも、公的資金の注入が無かったら0になっていた。

→このゲームで意外な自分の側面を知ることになる。私は軽~くギャンブラー気質みたいだ。
 「投資は長期分散」が基本だと頭ではわかっていながら、いざプレーすると一気に買ってしまったりしてい る。結論。「だから自分でやらないでプロに任せたほうがいい」


この後、更にラッキーなことに上条氏のご友人のジェームズ・スキナー氏にお会いすることも出来た。
http://www.visionet.jp/goods/003/003_1.htm
スキナー氏は、「成功の9ステップ」の著者であり、「7つの習慣」を日本に紹介した人でもある。
彼のセミナーに普通に参加すると100万円とかするらしい。



スキナー氏の世界の違うお話を聞いていて、「アラビアのバフェット」と呼ばれているアルワリード王子の本を思い出した。世界で指折りの才能とお金を持っている人は、体力も人並み外れてすごいということを。
スキナー氏のお話のなかで、「今までいろんな乗り物に乗ったけど、まだヤク(動物)には乗ったことないから乗ってみたいな~」という一言があった。そこから「今まで乗ったものリスト」を聞いていくと、最後には
「ロシアに行って戦闘機で行ける最高高度まで行って地球を見た」というのがあった。これには心臓と耳が強くないと乗れないそうだ。ちなみにスキナー氏は毎年鉄人レースにも参加しているそうだ。

2009年7月13日月曜日

悪霊祓い

2006年8月末。香港の全面鏡張りのエレベーターの中で目の前に鬼のような顔をした女がいた。
「怖~い。。」と思ってよく見ると自分の顔だった。この数日後、朝起きてみると腰をまっすぐ伸ばす事が出来ない。ヘルニアだった。社会復帰までに半年以上かかった。07年の終わり。金曜日の夕方、会社帰りの車のバックミラーに映った自分の顔の中に、例の「鬼」を又みた。月曜の朝、起き上がると胃の辺りがぐらぐら揺れていて目がかすみ、動くことが出来なかった。ベットに戻り、少し落ち着いてから朝いちで病院へ。
E型(おそらく)肝炎で、正常値40以下のガンマなんとか値が980にもなっていた。3週間絶対安静を強いられた。

今年の6月半ばのある日、ぞくっと寒気を感じて以来、頭痛・喉痛・咳・鼻水・めまいと風邪が2週間以上も良くならなかった。途中で、「これ、タダの風邪じゃない。何かに憑かれたかも」と気が付き、鏡の近くを通り過ぎる時に注意を払った。見えた。。。でも今回のは影響力でいうと30%位で弱い奴だった。
タイでの占い師の友人に話しをすると、半信半疑。顔見たらわかると思うから、見に来てと誘ったが、風邪の期間中は予定が合わなくて会えなかった。

先日、風邪は治り、もう大丈夫だと思って彼女に会うと、顔を見るなりいきなり
「本当だ!憑いてる。憑いてる」。。。
「前に何かに取りつかれたって話聞いて半信半疑だったけど、今顔見たらわかった。本当に取りつかれてるよ。殺気だって、悪意に満ちてて、目が怖いよ」と言われた。。。

風邪の症状が現れる数日前にも彼女と会っている。その時私は気分良く楽しく過ごして帰ったのだが、翌日
「昨日は殺気立ってたね」と言われた。その時から何かに取りつかれていたのだろう。
で、まだそれは消えていない。おそらく、影響力30%の奴なので、放置してもすぐにどうのこうのということはないと思っている。でもこれも長期間にわたって影響を受けるとまずいので早めに祓い落とさないと。。

来週末は「タイで有名な悪霊祓い師」を探して会いに行かないと!

この話、どこまで信じます?

2009年7月9日木曜日

中華街周辺

7日・8日はタイの祝日。三宝節と入安居で、よくわからないけど仏教関係の祝日らしい。
この2日間はタイではアルコールを売らない・飲めない。
中華街以外は!

というわけで私は別にお酒を飲まないのだけれど中華街に行ってきた。
中華街とはいっても今まで行った場所では特に中国語が通じた気もしなかった。
今回は「中国語が通じる」という怪しき雑居ビルへ。
「北京レストラン」でお昼を食べながら窓の外のお茶屋さんに集まってくる華僑のおじいちゃんと
本土から不法?出稼ぎに来ている若い(おじいちゃんから見たら・40代と思われる)中国人女性の援助交際を眺める。

援助交際と言っても、日本みたいなものではなく一緒にお茶を飲んでおしゃべりするだけらしい。
お茶代は当然おじいちゃん持ちで、女性は最後に話をしてお茶を一緒に飲んだだけで意味なく1000バーツとかもらえることもあるらしい。中国時代を思い出した。
中国の女性は金のあるところ・人に群がる。ある意味餌に群がるハイエナを見てるみたいだった。
一人のおじいちゃんに数人の女性でレストランに入ってくるグループもいる。
あれこれ勝手に頼み、飲み食いして女性たちはおそらくそのまま去っていく。
こんなことが繰り返される雑居ビル。。。ビル内の客層の平均年齢が高いせいか、加齢臭がした。
シップのにおいもプンプン。。。と思って見ると懐かしい「按摩」の漢字が。
物価もスクンビット地区と比べるとかなり安い。1時間半で180バーツ・全身マッサージを受けてみた。
お年寄りが多いせいか、やさしめのマッサージだった。
ベットとカーテンの仕切り・マッサージ服はまるで一昔前の寂れた病院みたいだった。

2009年6月25日木曜日

豚インフルじゃなかった

タダの風邪だった。
一件落着。

普通に抗生物質と咳止めとビタミンCを処方された。
今回は診察までに30分以上待たされた。マスクを付けてる患者さんも多かった。
(私も付けさせられた)豚インフルじゃないタダの風邪も流行ってるみたいだ。

2009年6月24日水曜日

豚インフル?

日曜日にものすごい頭痛がした。
月曜日もそれが続いた。夕方マッサージに行き、肩・首・頭を中心にぐりぐりしてもらったら復活した。
火曜日から、喉が痛くなり、咳が出始めた。
昨日の夜、家にあった葛根湯を飲んでみたがあんまり効いてないみたいだ。

・・・・これって、豚インフルだろうか?
本当にそうだったら隔離されるとめんどくさいから病院に行きたくない。。。
とか言ってて人に移すともっと悪いので、覚悟を決めて行くことにする。
数日前にB病院から「豚インフル検査パッケージ」プロモーションの広告メールが届いた。↓
結果は明日報告!


<インフルエンザ・スクリーニング・クリニック、パッケージ料金>
→ここに料金表がついてた。

*上記パッケージ価格は、発熱、頭痛、咳、鼻水等、風邪やインフルエンザの症状のある方のみに適用されます。症状のない方は一般内科外来のご受診となります。

*症状がないが感染者との接触があるなどの理由で、本人がインフルエンザの迅速検査を受けたい、または罹患していない旨の証明書の発行を希望するなどのケースも同様に一般内科外来の受診となります。その場合は上記パッケージは適用されませんのでご了承ください。

2009年6月21日日曜日

タイの一軒家

昨日、オンヌット付近に住む友人宅へ遊びに行ってきた。
オンヌットは、BTS東の最終駅名。
会社があるチットロム駅や私が住んでいるナナ駅と比べると随分物価が安くてびっくりした。

初めてタイの一軒家を見たのだか、家賃が2階建て・3ベットルームで18000バーツだとか。50平米位の私の1LDKの部屋と同じ家賃だ。庭に緑もたくさんあって、2階のバルコニーもジャングル化してあってすごく可愛かった。これぞ、タイの家!という雰囲気。
隣の家の猫が遊びに来て、2~3日泊って行くこともあるらしい。昨日はお手伝いさんが猫を迎えに来てた。駅から遠いので、車が無いと一軒家に住むのは難しいけど。

2009年6月15日月曜日

二重の虹

昨日の夕方、スコールの後にきれいな虹が出た。
良く見ると二重だった。

珍しいので写真撮影。
吉兆?




ISB

ISB(インターナショナルスクールバンコク)見学に行ってきた。

数年後にご子息4名をここに通わせたいというお客様のアテンド。

小学生から高校生までで約1900人。雰囲気としては、「アメリカの高校」に近いものを感じた。


ただ、私の時代には無かった最新式?の色んな設備がそろっている。

「スマートボード」なるものが導入されていた。

一見ただのホワイトボードなのだが、コンピューターとつながっていて画面が映る。

金属ペンのようなものをスクリーン上で動かすとそのペンの色でマークが出来るようになっている。

図書館にコンピューターがあり、そこでその日の授業内容ソフトを使って復習出来る。


ナイキから送られた「ナイキルーム」なるフィットネスルームがあった。

4時半以降は生徒の両親も施設を利用できるらしい。

他にもアメリカ大使館からもらったセキュリティーカメラが校内外に設置されている。

因みに年間学費は一人約200万円だとか。

2009年6月10日水曜日

四柱推命って何?

桃佳先生の「四柱推命で知るあなたの五行バランス」レクチャーに参加した。
レクチャーの内容はこんな感じ。

1)四柱推命の「四」は、生まれた年、月、日、時間のこと。
  この4つの柱から運命を予測するのが四柱推命の意味。

2)四柱推命とは、古代中国の陰陽五行思想から成り立っている。
 陰陽とは、「相反する全てのもの」。全てはプラス(陽)とマイナス(陰)の要素から成り立っている。
 例を挙げると、「生と死」「幸と不幸」「天と地」「男と女」など。
 東洋医学・風水・鍼灸などもこの陰陽思想の応用編と言える。

3)占いは統計学なのか?
  「帰納法」→データから結果を導く・結果から法則を導く方法
  「演繹法」→法則があり、全てはその法則に基づいて発生すると考える方法。
  四柱推命は「演繹法」の考えで成り立っている=占いは統計学ではなく、宇宙の法則を知る方法だ
  という考え。

ところで「宇宙の法則」って何だろう?
命題:なぜ太陽は自分で燃えていて、動かないのか?
    その周りを地球が自転しながら廻り、その地球の周りを月が回っているのはなぜか??

2009年6月8日月曜日

花と兵隊

先日、「花と兵隊」という日本で7月シアター公開予定の映画の試写会に参加した。
細かく言うと、「試写会の為の試写会」ということだ。

インパール戦の「未帰還兵」達へのインタビュー。
パンフレットには、「敗戦後、自らの意志で所属部隊を離れ、現地に残った日本兵たち。彼らは、軍隊で培った技術を活かし、土地に根付いた」とある。
なぜ、帰らなかったのか?
生きるとは?家族とは?そして戦争とは何か?を問う作品だ。

びっくりしたのは、監督が同い年の30歳だということ。
3年にわたる取材をまとめた作品ということだが、同世代でこんなテーマを選んだ事に驚いた。
以前、ジャパンハートの吉岡先生の講演会の時もインパール戦の話が出た。
自分にとって何の関係もないと思っていた「インパール戦」がこんなに身近な所にあったんだと
言うことに気がついた。

試写会は平日の勤務時間だったので、同世代の参加者が少なかったのが残念。
是非、私たち位の世代の若い人に見てもらいたい作品だと思った。



                   試写会の後の食事会で
                       集合写真
                       
                   松林監督(左下)

2009年5月25日月曜日

雨季の果物

5月になってから雨季が軽~くスタート。
気温も下がり、過ごしやすくなった。
で、新鮮な果物がいっぱい出回り出した。

会社から道路を挟んで反対側にBIGーCというスーパーがある。
その前の歩道には荷台に果物を山積みにした果物売りが並んでいる。

今日はマンゴスティン2KG,ライチ1KG,名前不明の果物1KG,ランブータン500G
全部で100B(約270円)だった。安い!
興奮していっぱい買ったけど、これ全部持って帰るのが重い。

2009年5月21日木曜日

最近ショックだったこと

今更ながら成都ですごくショックだったことを思い出した。
何年も通ったマッサージやに行くのに道に迷ったのだ。
あの場所で、この私が!

言い訳をすると、道路が拡張されて様子がずいぶん変わってた。
成都の街自体が本当に随分変わってた。私が20歳から30歳になった位変わってた。
値段だって、1時間15元から20元(それでも激安)に変わってた。
だけどあの場所で道に迷う日が来るとは想像もしなかった。
このまま海外に住み続けたら、いつの日か実家近辺でも道に迷う日が来るのだろうか?

2009年5月20日水曜日

同じ場所の違う世界

昨日、タイでお世話になっている方の日常生活ディテールを伺った。
唖然とした。子供がいると、そんなに大変なのかと。

例えば私は朝8時に起きる。用意をして8時半過ぎに家をでると会社には8時50分には着ける。
通勤にかける時間はドアTOドアで20分。
快適この上ない。BTSだから渋滞も関係ない。
途中の車道を見ながら、「やっぱり9時前後は朝の渋滞がひどいな」なんて思っていた。

ところが。
小学校だと、8時半もしくは15分に始まるらしい。
そういえば自分だって小学校時代はそんな時間に登校してたはずなのにすっかり忘れていた。
バンコクの朝の渋滞は6時台から始まると初めて知った。
一度朝6時過ぎにスクンビット通りに出て立って見学してみたらいいと勧められた。
駐在員の生活が見えるから、と。日本人学校に行くバスだけで150台。
奥様方が子供をバスに乗せるためにいっぱい出て来る光景が見れるらしい。
朝5時過ぎから起きてお弁当を作って、7時前にバスに乗せる。。。。
それはツライ。。。6時なんて私はまだ夢の中だ。
世の中が動いてるなんて思ってもみなかった。

同じ場所に住んでいても、まるで違う世界があるんだなと言う事実を認識した瞬間だった。

2009年5月19日火曜日

初めての雨季

5月になってタイで初めての雨季を体験中。
3月、4月の暑さがうそのように涼しく過ごしやすくなった。
ほぼ毎日夕方、もしくは夜中、もしくは明け方に雷を伴った豪雨が降る事が理由だが。
5月の気温は30度に届かないことも多いらしい。

おかげで夜はクーラーどころか扇風機すら要らないこともある。
朝は雨の後で空気がいつもより清々しい。
タイ人によると、6月、7月が本格的な雨季のらしく今はまだ始まり。
だからたまに雨が全然降らない日もある。そうすると少しむ~っと暑い。

雨期は果物の季節なのか、マンゴスティン、ライチ、あと何だかよく名前も分からない熱帯の果物が
道端でかなり安く売られている。見てるとわくわくしてくる。

2009年5月15日金曜日

上海出張

先日2泊3日で因縁の地、上海へお客様の通訳兼アテンドで出張に行った。
因縁の地というのは、一番最初に中国の地に足を踏み入れて、アメリカへ留学するはずだった予定が中国に変更されたきっかけを作ったのもこの場所。もう11年以上も前になる。

最初に就職したのもこの場所。
インドから戻って、又舞い戻った再就職地もこの場所。
留学中に四川から日本に戻るたびに経由地で必ず毎年訪れていたのもこの場所。
毎回毎回「もうここに来ることも無いだろう」とここを後にするのだか、何故かまた来るはめになる。

今回は約9か月振りの上海だった。
何だかとっても懐かしかった。「老朋友」に会った気分とでも言おうか。

ところで本題。
今豚インフルエンザが流行っているが、これは逆に移動時だと思った。
バンコクも上海もイミグレで全く並ばなかった。空港にも人が極端に少ない。こんな事は初めてだ。
あんなバンコクや上海の空港は初めてみた。
飛行機もガラ空きなので、往復3シート占領して寝ころんでの移動が出来て快適だった。
どうせ感染なんかしないんだから、この時期の移動をお勧めする。

2009年5月7日木曜日

成都里帰りの旅

私の第二の故郷は四川省成都市だ。
大学時代の5年間をそこで過ごした。当時の同級生や留学生仲間でGWに「同窓会」を開いた。
目的は、もちろん「老朋友」に数年ぶりに会うことと、名物陳マーボー豆腐と火鍋を食べること。
盲人マッサージに行くこと。

               マーボー豆腐発祥の地、陳マーボー店のマーボー豆腐
          
                      四川名物火鍋・怪しいどす黒さ

              これは最初。まだ中身を入れる前。赤というよりどす黒い
四川料理といえば、トウガラシと山椒の「辣」と「麻」=辛いと痺れるが特徴だ。
見ての通り、料理自体がまっかっか。当然ものすごく辛い。
数日しかいないので、毎日懐かしの激辛料理を食べた。マッサージにも毎日行った。
もう強くない胃がやられて、背中の胃の裏側に当たる部分が重苦しい。
最終日はウイグル族のヌードルを食べに行ったけど、辛くないのに脂っこさであんまり食べれなかった。これを毎日食べてた5年間ってすごいと思った。もう出来ない。



2009年4月25日土曜日

タイ事務所でのセミナー

実はタイ事務所の本業?は資産運用セミナー開催でもある。
無料でタイに住む日本人の方向けに「資産を守る方法」・「退職後の生活資金を準備する方法」などの
情報提供を行っている。
                   ↓今日のセミナー風景

                      
             ↓先月、「アユタヤ日本人会」にての風景
もちろん講師は私ではなく、香港事務所の者が来ている。
海外をうまく使ってリスクを分散するなど、グローバル化のサポート業務の一環だ。


2009年4月22日水曜日

Live to Love

ブータン旅行でお世話になったケサン王女。
彼女がブータン代表のコーディネーターとしてネパール入りした、Annual Drukpa Council (ADC)
第一回が4月6日からネパールにて開催された。

以下、HPからの抜粋の簡単な意訳。

ADCの目的の一つは「Live to Love」、今日のこの世を愛すること、優しさ、憐みなどの実際的な側面を教えることを促進することだ。
猊下はクッションに座って瞑想する代わりに、「私たちは愛する為の生を学ぶことも考えるべきだ。同情は養成・発展されるべきでだが、愛は日々の練習から生まれる行動である」と仰った。
Live to Loveの活動は他にも800年のDrukpa家系 の精神的理想主義の促進をサポートすることであり、それを現代生活のリズムに合う形で生きる伝統とすることである。

とある。
HPのブログ欄で彼女のインタビュー動画を見つけた。↓
http://www.drukpacouncil.org/index.php?option=com_content&view=article&id=129:kesang-adc&catid=61:video&Itemid=108&lang=en

2009年4月21日火曜日

「王様の歴史」から②

書籍「王様の歴史」から第4代国王殿下の御言葉一部抜粋。

第4代国王殿下は憲法改正、国王退職制、民主化、譲位などを皆の反対を押し切ってでも
実行された。それに対して、なぜ?そして、なぜ今?という疑問がある。
以下はそのご回答とある。

「なぜ?ブータンは公益のために選ばれたのではなく、出生によって選ばれた一人の人間の手に委ねられるにはあまりにも小さく、その影響・被害を受けやすい。国の運命は実のところ、ブータン国民の手に委ねられなくてはならない。今日ブータンを未来に導く政府と制度を選ぶのは国民なのだ」

「なぜ今か?今は変化に最も適している時期だ。ブータンは社会経済発展の過程のピークにある。この王国はかつて一度も今ほど安全で安定した状態であったことはない。外の世界との関係は今までで最高の状態であるし、インドとの友好・協力関係は新たな高みに達した。変革は良い時に行われるのが一番である」

他にも
「もし政府と国民が手をつなぎ、決意とともに協力すれば我が国民は繁栄を達成し、国は強く安定したものになるだろう。。。私がただひとつ今日皆に伝えたいメッセージは、我が国民よ、もし我らの全てが私たち自身をブータン人として捉え、一丸となり考え行動し、そして三重の宝石の信念を持つことが出来れば、我らが輝かしいブータン王国は強さへの強さへと変化し、繁栄と平和と幸せを達成するだろう」----------1974年6月3日。


「大きな国が持っているような軍事力も経済的強さも我が国にはない。しかし我らには我らを主権国家、独立国として維持する為の豊かな文化遺産と独自の国民的アイデンティティーがあるのだ」。

「王様の歴史」から

ブータンの観光局長、ケサン氏から頂いた本、「The Legacy of a King」。
ティンプー市内でも良く見かけ、買おうと思っていたら思いがけず記念にと下さった。

私の独断と偏見?で気に入った部分を紹介していこうと思う。
内容におかしな所があったりした場合、それは私の勝手な意訳のせいです。

ブータン国歌(歌詞)

糸杉の育つ雷龍王国で
栄光の修道院の避難民と民間伝統
雷龍の王、素晴らしき君主
その存在は永遠で、治世は繁栄する
啓発の教えは華々しく繁栄
平和と幸福の太陽が全ての人に降り注ぎますように

翻訳って難しいですね。。。