2009年4月8日水曜日

ブータン旅行6日目

6日目

朝早くティンプーを出発し、パロへ向かう。
このお祭りを見るために出張自体を4月まで待ったのだ。
チェチュと呼ばれるお祭りで、ガイドブックにはチェチュとは
「ブータン人にとって、仏教を広めた僧の存在は釈迦と同じくらい重要だ。特にヒマラヤ地方に仏教を伝えたパドマサンババは至宝の師として今も敬慕されている。彼の布教活動を再現し、その威光を悪霊に再確認させるために営まれる法要」だとある。
会場はブータン最大級の規模を持つパロ・ゾン(城塞)だ。
ゾン自体が芸術品のように美しい。
お寺などに行っても思うのだか、一番美しい壁画や仏像などは内部にあるので写真撮影が禁止されている。本当に圧倒される美しさなので写真紹介出来ないのが残念だ。
最初にマスクを着けた3人によるダンス。それから眠くなるような、思考がどこかに連れて行かれるような伝統音楽とともに衣装を身につけた男性が踊る。同じ動きを繰り返す。鮮やかな色彩のスカートがくるくる回り、人も回る。
音楽と合わさり催眠効果でボーっとしてくる。





即興のパントマイムで観客を沸かせる「アツァラ」に記念撮影を頼む。
なぜか横ではなく私の後ろに回った?と思ったらいきなり抱きあげられた。。。

ブータンに来てから激しく後悔したことは、もっとチベット仏教について勉強してくれば良かったということ。それが理解出来てないと色んな事がちゃんと理解出来ない。この踊りも色んな意味があるのだか、仏教の話がわからないと付いていけない。
これからチベット仏教についても勉強しなければと強く感じた。


午後からはパロの超高級ホテル見学。これらのホテルに泊まる場合は公定料金の1日200ドル+で支払わなければいけない。
1泊1200ドルというアマン・コラとローシーズンなら145ドルから泊まれるZhiwaling hotel見学。個人的にはブータン建築風のZhiwalingの方が気に入った。
内装もお寺の中のように芸術的で、仏壇部屋や瞑想ルームもある。100人まで収容出来る会議室もある。会社や政府機関の会議にも使われているそうだ。

それから一人で野放しにしてもらい、(ブータン旅行は基本的にずっとガイドが同行なので便利な反面、単独行動がたまらなくしたくなる時がある)パロの中心地を散策。
1時間ほど当てもなく一人でうろついたら随分すっきりした。
一人旅が基本な私にとって、最高のブータンで一番の難点は一人でいられる時間が極端に少ないことだった。私も疲れたけど、ガイドさんも大変だったろうと思う。

ブータン旅行5日目

5日目

昨日に引き続き、過去世を確かめる旅へ。
今日が本番の「特殊能力で人の過去世がみえるラマ」だ。ティンプー郊外の山壁の途中にへばり付くように立つ建物(写真)にラマはいる。途中からは徒歩で登らなくてはいけない。

とにかくたどり着き、ラマにお会いする事が出来た。
過去世の記憶だとしか思えない夢の事、首絞め・ナイフ刺しで殺された過去があると私は信じているが、それは本当なのか確かめたい。又それが今世に影響しているのかも知りたいと伝える。ラマは私の方をみてから興奮して話しだした。
首絞めは無いが(見えないが)ナイフで刺されて殺された過去はある。以前身寄りのないお坊さんだった私は確かにナイフで刺し殺されて人生を終えているらしい。でも今世は殺されないから大丈夫との事。次は男性になると言われた。他にも実はかなり色々言われたのだか、個人的な話になりすぎるのでここまで。
昨日の計算による占星術よりは自分自身で強く事実だろうと感じていた事と重なる部分が多かった。
過去世を知って何の役にたつのかとガイドさんに聞かれた。少なくともあの夢とか、直観がただの妄想じゃないってことが確認出来た。それで何かが吹っ切れた気がした。

午後はブータン・アグロ・インダストリー訪問。
93年設立の食品加工工場。ミネラルウオーターのボトリングの他、季節の収穫物を加工を行う。意外だったのは、ここで加工する原材料の70%近くはインドからの輸入だということ。農業国ブータンの農作物は高すぎるらしい。ミネラルウオーターのボトルの原料もインドからだ。改めてブータンとインドの密接な繋がりを感じる。

そのあと、ローカルマーケット見学。
せっかくブータンに来たのでブータンチーズとバターを買う。
バターは最低500グラムからしか売ってくれない。一人だと半年以上たってもなくならないかも。。。

夕食後、JICAの方に1泊1000ドルするというホテルにお茶に連れて行って頂いた。
全部で16室しかないらしく、隠れ家的なホテルだ。伝統的ブータンスタイルの建物に5つ星級の内装設備。ブータン自体がかなり「別世界」だが、ここは更に「別世界」だった。

ブータン旅行4日目



4日目

占星術計算の学校訪問。
数年前に1週間連続で色んなバージョンで殺される夢を見続けたことがある。
大体首を絞められるか、ナイフで刺されるかなのだが、毎回私は違う人だ。
でも殺される時の恐怖、苦しさは現実とまるで同じでいつも死ぬ寸前に目が覚める。
しばらくは周りを見回し、「ここはどこ?私は誰?」状態。まだ思考があちらに残っているのだ。少し経つと自分が誰でここで何をしてるのか思いだし、戻ってくる。そんな事が1週間連続で起こればおかしくなる。ただ、おかしくなりかけながらもわかったのは、これは現実だということ。ただの夢じゃない。こんなにもリアルな強い感情は現実でだってそんなに起こらない。つまり、私は過去世で何度か殺されているということ。
このことを確かめたくて、いつか過去世を見れる人がいれば確認したいと思っていた。
そのことをコーディネーターに話すと、「じゃあ、ちゃんとしたラマじゃないとだめね。いい加減な人に適当なこと言われたら困るから」ということである特殊的視覚のあるラマを紹介してくれた。でもそこに行くのは明日。
今日は、占星術計算学校で「見る」のではなく、「計算で」どう出るのか見てみようというわけだ。



結論から言うと、かなり意味不明だった。
私の過去世の最初は悪霊、次は人食い人種、で、象さん。そのあと人間になって(でも肝心などんな人間で、どんな死に方をしたのかはわからないとの事)今に至るとか。来世は又人食い族の女性か、象か、鳥。もしくは今世で善行をつめば違う世界の(天国の意味?)最高の家庭の最高に聡明で最高に美しい女性に生まれ変わり、右の腰と肩にバースマークがあるらしい。ついでに生年月日を持ってきて一緒に見てもらった友人の前世は天国で今に至るらしい。来世は女性で、善行を積めば僧になるとか。でも、何で天国にいた人がこの世に戻ってくるのか?私の善行を積めば来世で違う世界の。。。。というのも謎。一緒に来ていたガイドさんは来世は猿か鳥とか言われたらしい。人になった人はもう動物にはなならないんじゃなかったっけ?チベット仏教のタンカに描かれているマントラの世界観と関係があるみたいだ。それを理解しないと意味がよく掴めない。

まあ、これはざっと概論を見ただけでもっと詳しく見たければ1か月位かかるらしい(計算に)。

午後からGNHコミッションにいらっしゃるJICAの方を訪問、お話を伺う。

この方が最初にブータンに来たのは25年前になるそうだ。それから今まで色々行ったり来たりして、合計ブータン滞在歴は11年だとか。
GNHコミッションとは何をしている機関なのか?
元はPlanning Commissionという、国家計画を立てる機関だったらしい。
2008年の1月から名前を改め、GNHコミッションとなったということだ。
主な仕事はGNHという概念を目標として国を作る為の計画を作成すること。
現在取り組んでいる第5カ年計画を簡単にいうと、「バランスのとれた計画」だそうだ。
国民全員の幸せを一番に考える。しかし同時に、文化・自然を大切にしてもある程度の発展が無ければ幸せとはいえないだろうという考えも取り入れている。
この方の個人的な意見も伺う。要約は以下。
今CBSがGNHを数値化するために色々やっている。しかし、個人的には数値化出来ないもの(家族と過ごす時間、汚染の無い自然環境、人との繋がり)が大切だと思う。人は目に見え、数値化出来るものを求めるが、そうではないものが大切だと大声で言える事が素晴らしいんだと思う。余談だが、ブータンの首相は、「日本がGNHを取り入れた社会を実現したければ、一昔前に戻ればいいだけ」と言ったとか。。。

夜、コーディネーターのケサンさんの友人で、会社経営をしている同年代の男性と夕食。遅れてごめんとやってきて、お茶だけ下さいという。なぜ食事をしないのか?と聞くと、「胃が悪くて今はあまり食べれない」。
「何の仕事をしているの?」
「外国から外注された何か(なんだか忘れた)を作ってる。海外と仕事をするからには納期がある。今納期前だから忙しくて。ブータン人にその概念を理解させるのも大変だし。。。」
「今1日何時間働いてるの?」
「17時間位かな。。。」
「あなたはブータン人じゃないね!働きすぎ。だから胃が痛いのでしょう?」
現代ブータン人も結構普通にストレス社会にいるのかもしれない??

ブータン旅行3日目




3日目

2日目の夜にして気がついた事がある。
ブータンに来てから、何かが足りないと感じていた。でもそれが何かわからなかった。
良くも悪くも「何かが足りない」のだ。この国には。
最初は人口が少ないから物足りない?とか色々考えたのだが、突然わかった。
この国には、「悪意」がない。
例えばインドや中国にいくと、その土地全体から悶々と人の発する悪意、欲望、嫉妬、人から何かを奪ってでも自分が良くなりたい攻撃心のような「悪の気」の塊が向かってくるのを感じる。それがこの国には無いのだ。個人レベルで見ても、国民全体が発する土地からの気のようなものからも「悪意」が欠けている。
今では日本でも車に鍵をかけていても貴重品が入った鞄を車内に置いていこうとは思わない。ブータンでは平気でそれが出来る。ホテル内でも朝食に出る時にでも貴重品を部屋に置いたままで大丈夫かと考えるのが他のアジアだが、ブータンでは全然気にならない。
仏教の影響なのか、人のものを奪ってまでという考え自体がないような気がする。
あくまで私の個人的感想だが。

さて本題。朝一でKelki 高校を訪問。ブータンでGNHを実践するに当たり、きっと何か特別な教育カリキュラムがあるに違いないと思い込んでいた。高校での時間割などを見せてもらえればと思い、校長先生とお会いした。この高校では高校でも時間割ではなく、シラバスがあった。時間割は校長室には無かったので見れなかったのだか、GNH教育などは特に無いそうだ。
当然海外留学経験者の校長先生にブータンの教育と海外の教育の違いについて聞いてみた。
「ブータンはスプーンフィーディング式なのよ。まだまだ生徒は受け身の姿勢の教育方法で、先生が一方的に話すだけ。段々参加型に移行してるけどね」とのこと。
この高校は、第5代国王殿下の母校でもある。校長先生は当時英語担当だったそうだ。




当時の国王殿下は優秀な生徒で、生徒会長だったそうだ。
ブータンでは学年が上がるにつれ、男子生徒の数が増え、大学進学率は男子生徒の方が多くなるそうだ。女性は専門学校か結婚する場合が多いらしい。女性主権の国で?と思いそのことについてどう思うか聞いてみる。笑いながら、「いいんじゃないの。女性は子供を産んで育てることを選ぶ場合が多いからね。育児も当然男性もするけど女性がした方が上手に出来るし」。GNHの概念は家族とのつながり、一緒に過ごす時間を特に重要視している。
つまり、そういうことなのかと納得した。

余談だが、高校の図書館にシドニー・シェルダンの英語本があったりした。以外とモダン。


次に建設中のRoyal Thimphu Collegeを見学。本当に建設中で、「これから国内でも大学教育が受けられるように準備中なんだな」という程度。

次はキノコセンター。キノコの菌を培養して、農家に配布するらしい。
菌を作る容れものは殆どがビール瓶。担当者の話だと、本当は口の広いブラスチック製の容器の方が詰め易いし、高さもないので菌が早く繁殖する。でもプラスチックは環境に良くないので再利用できるガラス製を使うようにとの指示があるらしい。その場に少しだけあったプラスチック製容器を指して、「JICAがくれました。私も研修で岐阜に数か月行ったことがあります。これはしいたけ、これはマツタケ。。。」とキノコの名前だけ日本語で教えてくれた。巨大マツタケと記念撮影。


次はRoyal university of Bhutan訪問。大学だと思ってたら一つの建物だけ。
担当の方にお話を伺うと、ここはブータンの各地にある専門学校をシステム的に管理するための場所らしい。イメージとしてはリモート教育、リモート管理だ。
この日、ここを訪問した時は体調が最悪だったこともあり、これ以上の記憶が無いので以上。。。

ホテルに早めに戻り、少し休憩。
夕食はJICAの方と一緒に。こちらでの体験談をお聞かせ頂いた。
ブータンのレストランで一番難点なのは、寒いこと。
どのレストランにしますか?と聞かれ、「寒くないところに」と言うと丘の上の夜景がきれいなホテル内のレストランにご案内頂いた。ティンプーの夜景はこんなもの。
実際にブータンで生活した方の視線で見て、ブータンはどうなのか率直な意見を伺う。
「いい」らしい。お話を伺っての内容をまとめてみる。
ブータンのGNHという国家政策のポイントは「全ての国民に平等に。誰も見捨てない」事だと思う。例えば電化。国王殿下が2013年までにブータンの全ての家庭を電化すると仰ったらしい。100%の意味は、「1件も残さず」ということだ。ブータンの農村は特に、家と家の間がものすごく離れている。集落を成してない場合も多い。それを100%電化するというのは並大抵のことではない。日本なら普通は効率とそこにそれを作る意味をはかりにかけて過疎地の数%は「見捨てる」事を選ぶだろう。でもブータンは違う。100%といえば、100%なのだ。
ブータンは水が豊富にあるので水力発電による電気をインドに売っている。ある一定の場所まではこの水力発電の電線を引ける。でもとんでもない所にある1件の為に電線を引くのは。。。となると、ソーラー。それでも電化するらしい。国王殿下がそう仰ったからにはやるしかないのだ。電気局の局長は悲壮感が溢れているとか。。。

「誰も見捨てない」政策の温かさを感じるのは、それが私たち外国人(旅行者も含め)にも適応されるということ。JICAでは年に一度健康診断をしなければいけないらしい。隊員全員の費用は合わせれば数百万になる。当然その為の予算が出ている。他の国では皆当然現地の病院に支払っている。でもブータンでは医療費はただ。だからどんなにお願いしてもお金を受け取ってくれないらしい。我が国のために来てくれているんだから取れないということらしい。すごい。。。
一度、地方で任務にあたっていた隊員の方が大量吐血しながら運ばれてきたらしい。多分胃からの出血だろうが胃カメラが壊れていて使えなかった。とにかく輸血しなければという時に、その方の血液型はAB型と判明。アジアでAB型のストックは少ない。全て使ってもまだ足りない。居合わせた隊員でAB型は2名。それでもまだ足りない。知り合いの政府高官に電話相談すると、「私はAB型だ。今から行く」と自ら450CCをくれ、更に足りないとわかると政府関係者に電話を掛けまくり、10人位がすぐに集まり皆献血してくれたそうだ。
我が国の為に仕事をしてくれて、困っている人がいるから助けるのは当然だというわけだ。
すごい話だ。これが全員各省の重要ポストにいる方々の行動なのだ。優しい国が出来るわけだ。

とはいえ、そんなブータン人にもストレスはあるようだ。
癌、特に消化器系の癌患者がかなり多いらしい。
又、JICAで専属弁護士を雇う際の面接で主に扱っているケース(専門分野)は何かと聞くと、「90%は家庭内暴力」との返事だったとか。
一瞬、「女性が男性に暴力を振るうのか?」と思ったがやはり違うようだ。
女性主権の文化のブータンでは伝統的に家は長女につき、男性は家付きの女性に受け入れられたら結婚成立で、追い出されたら離婚となると聞いている。もちろん今は随分1妻1夫制で書類結婚をするケースも増えているらしいが。この追い出されるに至る過程に暴力があるのかもしれない。

ブータン旅行記2日目

ブータン2日目

バイオ・ブータンというドイツ人女性とブータン人女性の会社を訪問。
ブータンで活動している外国人企業家がどんなことをしているのか興味があったからだ。
イレメラさんは農業研究が専門の、ブータン人と結婚したドイツ人女性だ。
完璧に無農薬なレモングラスの精油とそれから作ったエアスプレーをヨーロッパに輸出している。国内向けにはジンジャーパウダーとターメリックパウダー。ブータンの王室関係者も愛用しているらしい。

18ヶ月後にはブータン伝統医療と薬草の知識を取り入れた石鹸の開発が完成する予定だそうだ。原料生産から加工・ラッピングまで全てブータンで行うには技術提携が必用だ。ブータン国内にはまだそれだけの技術も機械もない。それら全ての問題を解決し、製品完成にはその位の期間がかかるそうだ。
敏感肌の私としては、是非ともその石鹸を早く製品化してもらいたいと思う。

オーガニックレモングラスプロジェクトについての詳細は
www.moa.gov.bt/downloads


次はブータン伝統医学病院を訪問。





タイ伝統医学と似たような概念のブータン伝統医学の勉強・実践の場だ。
薬の原料を見せてもらい、ついでに診察をお願いしてみた。
アレルギー・不眠体質の改善について相談。
脈診・目・舌の観察、爪を押す、などを行う。
「時々頭痛とかめまいするでしょ?今特にどこが悪いというわけじゃないけど、風の要素が体質的に弱いからアレルギーが出たり、夜眠れなかったりするんだね。薬を3週間分だすから。苦さを補わないとね」。
ゾンカ語の処方箋を貰い、病院の薬局へ。
薬はこんな感じ。(朝・昼・晩でそれぞれ効能が違う)
特に朝用の丸薬は噛み砕けとの指示通りにすると、ものすごい苦さで。。。。効くに違いない。。





今までヘルニアなどで漢方医や鍼灸師に見てもらった事がある。大体同じような事を言われる。生物として生命力が弱いらしい。
薬を貰った段階で気がついた。ブータンでは医療が完全に無料だということに。
でもまさかそれが旅行者である私にも適応されるとは思わなかった。
本当にすごい国だ。

次はAshi Keznag Wangmoの社会福祉の家と隣接するティンプー国立推薦病院へ。
ブータンで一番人口密度が高いのは病院だと判明。
皆昼間ここにいるから市内は人が少ないのか?と思うくらいブータンにしては混雑していた。患者一人に対して、付き添いが3人位いるだろうから、実際の患者数はあの30%位だろうけど。それにしても医者不足はどこも同じということか。

病院内を歩いていると「ダイエットクリニック」というのがあったので行ってみる。
ブータンで肥満が増えてるのか?でぶは見ないけど、と思って聞いてみた。
ブータンでは糖尿病が増えているとか。食生活がでんぷん質中心で野菜不足になりがちというのが問題らしい。アドバイザーはインドケララ州出身のダイエティシャン。私の質問に答えてくれるほど暇そうだったので聞いてみる。やはり、医者にここに行って生活習慣に関するアドバイスを貰いなさいと強く言われた患者がしぶしぶ来るだけらしい。
ブータンでダイエットクリニックは似合わない?と思ったがそんなものだろう。

午後は本日のメインイベント、観光庁のダイレクター、ケサン・ワンディ氏インタビュー。
今は観光庁にいるが、以前はGNHコミッションにもいたことがあり、首相に同行して日本などへのGNHセミナーに参加していたらしい。GNHの概念について簡単にレクチャーして頂いた。

要約は以下。
*GNHとは、幸せになる方法ではなく、最終的ゴール(皆が幸せでいられる状態)に到達するための包括的なアプローチである。
*それには、安定的な収入・伝統と文化の保護からくる精神性・汚染の無い環境・良い統治=国民のためのサービスを行う行政、法治、汚職のない政治などがあげられる。
*他の国では憲法に「幸せになる権利」を謳いながら、その方法を政策として考えていないが、ブータンはそれをやっている。それがGNHの概念である。
*現時点で、シンガポール・タイ・ブラジルなどが国家ポリシーとしてGNHの概念を取り入れることに興味を示していて、アプローチがあるらしい。国際社会からも大きな支持を受けている。
*第5代国王殿下がこれからしようとしているのは、現在生活とGNHの融合だそうだ。GNHコミッションとCBGがGNHという大きな概念を小さな項目に分類し、数値化出来る方法を捜索中だ。この数値化が確立されれば、国際社会もGNHを国策として取り入れやすくなるからだ。
*なぜ、ブータンはGNHに力を入れているのか?
 ブータンには億万長者はいない。貧困層はいるが、ホームレスはいない。なぜなら、社会が人民に与える平等性にこだわっているからだ。GNHという概念を実社会に反映させる作業はブータンではうまくいっているが、他の国家でも同じように出来るとは限らない。状況が違うからだ。でも、その国家の現状にあったやり方で少し方法を変えながらGNHを取り入れていくことは可能だろう。
*GNHを理解するためのキーワードは「個人と社会のつながり・全体的な視点」。

さて、ここからはケサン・ワンディ氏の本職である観光について。
ブータンは旅行者に対し、滞在1日に対し一人200ドル制度を課している珍しい国だ。当然これにも理由がある。

ブータンの観光は、GNHの概念に従っている。質を高く、量を少なくということだ。GNHに従えない観光客は来てほしくないということ。しかし、観光客がどんな人なのか、チェックする方法はない。一人ひとりビザを支給するたびにインタビューをしたり、バックグラウンドを調査するわけにはいかない。というわけで、とりあえず1日200ドルという規制を入れることで、道端に寝泊まりするようなバックパッカー、現地の女性を安く買えるからという理由でくる性病蔓延の元になるうる旅行者などは排除されるだろうというわけだ。観光収入が増えれば、病院などを作ったり必要な経費を補ったり出来る。だがそれで文化・伝統を損なっては意味がないと考えるからだ。周辺各国でおこっている現象を観察する。観光化により、人口が都市に集中。人は農業を捨てて観光客相手の仕事を得ようとし、10年後にはその国の農業はだめになってしまう。確かに今の観光政策だと観光収入による国家財源は増えないが、「全体的な視点」から見ると、最終的には損にはならないということだ。バランスが大切だ。

現時点では主に伝統と文化を売りにした観光政策だ。次の企画はエコツーリズム、スパ・メディテーションツアーらしい。もちろんこれらも全てGNHとつながっているべきとのこと。ブータン伝統医学と精神的文化であるメディテーションなどを組み合わせた「全体的癒し」をコンセプトにしたツアーだ。死の受容などについても学べるツアーも出来ますがと聞いてみた。もちろんです、と話は弾み、最後に第4代国王殿下の伝記をプレゼントとして頂いた。内容はこれからゆっくり小出しにして紹介していこうと思う。



夕方、コーディネーターのケサンさんが迎えに来てくれた。彼女の運転手つきの車で家に向かう。後で知ったのだか、一般人は中々入ることの出来ない王族の住む丘へ特別ゲートを通過して入る。途中、ここが第4代国王殿下の4人のお妃さまの家、と一つ一つ彼女が教えてくれる。かなり上まで進み、彼女の家へ。


運転手と食事係と掃除・洗濯係の男性が3人仕えている。門番は犬。



昼間はどこかに出かけているが、夜には必ず戻るらしい。
居間でアルバムを見せてもらう。



ケサンさんは王女だよね?と聞くと、「ブータンでは両親が両方王族出身だった場合のみ、王女となる。私は父親が一般人だから王女じゃないの。でも母は王女。この家は母の家だから住んでるけど、母に何かあれば私も下の町に降りて生活することになるかもね」。とはいえ、現国王殿下とはいとこの関係にあるわけだ。そんな方とは知らずに今までずっとメールやりとりをしていたのか。。。彼女は高校をタイで、大学をオーストラリアで出ているので外国人の友人も多い。話をしていても普通の友達感覚だ。
そのあと、彼女の夫の実家へ行き皆で夕食。義理の妹さんもオーストラリア留学経験があり、話が弾む。中国留学時代の留学生仲間を思い出した。向こうも同じだったようで、元ルームメートの日本人女性の話などが出てきた。
ブータン人は驚くほど国際感覚がある。多くの学生が国費で海外留学を経験しているからだ。海外の便利な生活の後でもやはりブータンでの生活を選ぶと言っていた。

ブータン旅行記






1日目(3月31日)

ブータンに到着。
イミグレで観光者のブースに並んでいたら、オフィシャルブースへ行けと言われた。
この時はなぜなのか意味不明。
迎えに来てくれたガイドと車にのり、パロからティンプーへ向かう。
日本でいえば一車線の幅の山道(国道だか、イメージ的には峠越え)をゆっくりと進む。
とにかく人がいない。途中で民家が飛びとびにぽつぽつ見えるのみ。

ホテルに荷物を置いて、行動開始。
国民図書館へ。








ブータンのほとんどの建物は5階以下だ。
エレベーターも無い。それはいいが、階段が。。。45度の急斜面。
これを上って降りてでかなり疲れる。今まで転げ落ちた人が絶対いるだろうと思って聞いてみたが、いないらしい。その初めてにならないように気をつけねば。。。

車で数分のブータン伝統芸術&工芸センターへ。
10代後半の学生が勉強をしている。
タンカの下絵の練習をしている教室へ足を踏み入れる。一人とっても上手に描けている子がいた。近寄って写真を撮らせてもらう。すると、「気に行ったのなら貰ってください」とその下絵をプレゼントされた。嬉しかったのでありがたく頂き、記念撮影。






他にもマスクダンスの仮面制作・機織り・壁絵ペイントなどをやっていた。
作品展示兼販売所があるので行ってみる。タンカが美しい!あまりに奇麗なので欲しくなって値段をみると、2~3万円位する。。。

昼食後、本日のメインイベントであるCBS(センターオブブータンスタディー)へ。
ダショー・カルマ・ウラ氏と面談。
CBSは主にGNHのコンセプトを実社会に導入する現実的方法を研究する機関といえるだろう。今一番力を入れている事は、GNHを数値化することだそうだ。
GNPは世界各国で経済発展度を表す数字として有名だが、GNHは数値化出来るものではない。国民の幸福度を測るにはどうしたら良いのか?現時点で400項目まで細分化したものをどうやって数値化しようか思案中のようだ。
項目などの詳細・CBSの具体的活動内容は
http://www.bhutanstudies.org.btgrossnationalhappiness.com/
を参照。

CBSではタイ政府から派遣された職員のスタディーツアー受け入れも行った。
GNHを実社会に導入するにはどうすれば良いのかを学ぶためだ。
日本からも要請があれば対応してくれるとの事。

ダショー・カルマ・ウラ氏にGNHの概念を簡単に説明してもらった。
要約は以下。
*GNHとはブータンの開発発展方針に名前を付けたものといえる。GNPは収入、主に経済的発展度合いを測る為の指標で、欲望を満たすための方法である。GNHとはGNPを含めた上で、それを越えて最終的ゴールである国民の幸せを目指すことである。この概念はもともとブータンにあったと言えるが第4代国王殿下がそれに名前を付けることによって人々にGNHの大切さを再確認させることが出来たといえる。
*幸せは国民全体のゴールであり、生物生存に必要な自然を求めた時にそれが与えられるチャンスは全ての人にあるべきだ。開発はそれを踏まえて考えなくてはいけない。
*物の価格・価値というものは人の行動を変える。安いからインド製品、中国製品を買う。たとえそれが良くないものであってもだ。これを高くすれば誰も買わなくなる。つまり、生物生存に必要なものに優先順位を付けていき、価格をコントロールすることが出来れば人の行動も変えることが出来るのだ。
*そのためにはメディアも変わるべきだし、政府もある程度メディア放送内容に関わりを持っていかなければならないだろう。
*幸せとは、心のあり方そのものである。暗さ・沈黙・静けさ・完璧な眠りなどが与えられる環境を守るべきだ。1日に最低30分は何も考えないでいる時間を作れる環境が守られるべきだ。人とのつながり、社会への責任が果たせる環境を守るべきだ。

最後に一緒に記念撮影。



「あなたは~~さんとどういうご関係ですか?」と聞かれた。
~~さんという名前は聞いた事が無かったので、「知りません。どなたですか?」
「王室の方ですよ。あなたは彼女の招待客でしょう?」はあ?と思って後で確かめると、
秋以来ずっと連絡を取り合い、今回の出張に当たり、こちらでのアポを取ってくれたコーディネーターのケサンさんは第4代国王殿下の妹さんの娘さんだという事が判明。
彼女のおば様に頼んで私を招待客にしてくれたらしい。
と、いうわけでイミグレでオフィシャルカウンターに並ばされた理由が判明。
これってものすごいラッキーな事だと気がついた。
普通なら絶対会えない政府高官の方々へ会わせて頂けた理由もようやくわかった。

GNHについて研究・書かれた本を4冊頂いた。
詳細はこれから毎日少しずつ翻訳してここで紹介していこうと思う。

2009年3月27日金曜日

アジア3面記事

NNAという情報誌を取っている。
その「アジア三面記事」欄でタイに関する面白い記事が。。。

バンコク市内の大学で自閉症児童(11歳)が潜在能力開発センターのレクリエーション中に母親を探して泣きだし、校舎の3階にい駆け上がってベランダの縁に座り、今にも飛び降りそうな姿勢をとった、とある。

ここでタイらしいのが、なんとソムチャイ消防団員が保護者の「慰めるにはヒーロー人形が必要」という情報を受け、スパイダーマンのコスチュームで登場。
児童は満面の笑顔でヒーローに駆け寄り、事なきを得たという。

すごい。。。日本だったらここまでやってくれる消防団員はいるんだろうか、と思った。

2009年3月20日金曜日

ローイエートの村


三原ノイさん基金の村訪問

日本人男性と結婚した三原ノイさんという女性もコップンマークの活動をしていた。
数年前に他界され、そのお香典の一部を基金として寄付して下さったそうだ。
これを村おこしで頑張っているお坊さんがいるローイエイトという村の教育基金にしてもらったらしい。

この教育基金を受けている学生(中学生・高校生)をそのお坊さんとお会いする為に村を訪問した。
ここ数年、いわゆる「風水的」にいい気が満ちている場所と嫌な気が満ちている場所が感覚的に分かるようになった。悪い気の満ちている場所にいると体調を崩したりするし、そこに置く植物は必ず枯れてしまったりする。事故も起きやすい。
この村は、全体的にすごく気持ちが良かった。特にお坊さんがいるお寺はいい気が満ちていた。
お坊さんはすごくはきはきした、ジョークを連発するような面白い方で色んな進行中の教育プロジェクトについて実業家のようにはきはきとレポートしてくれた。

同行者の中にバンコク在住の占い師の方がいた。
このお坊さんの生年月日を見てみると「指導者」の星が出ていたそうだ。

コーンケンしのバーンコーク小学校写真







                      






2009年3月18日水曜日

コーンケンのバーンコーク小学校訪問

コーンケンの村、バーンコーク小学校に「コップンマーク」が作った図書館がある。
小学生たちとの交流と図書館視察に訪れた。

何をしたかというと、「羅漢さんが転んだ」「あんたがたどこさ」などの遊技だ。
同行してくれたACECのニタヤさんもタイの遊技を教えてくれた。
小学生と一緒に腕をぶんぶん振りまわしたら後でものすごく疲れた。。。もう若くない。

スタディーツアーというより、「国際交流」という感じを受ける。
この小学校出身の女性が住田先生の秘書をしているので、現在の村の子供たちの大学進学率を聞いてみると、70%位だという。
校長先生は、希望を述べたのか、100%と言っていた。
何にしても、高い。

全ての遊技を上手にこなす、生真面目な表情の男の子がいた。
先生に彼は勉強も出来るのかというとやはりそうだとのこと。
タイの子供は驚くほど従順で、礼儀正しい。
ほほえみの国タイのあのニコッとした微笑みがとってもかわいいのだ。
次はそのかわいい子たちの写真を載せよう。

クロントイスラムとプラティープ財団写真





































バンコク市内のスラム

バンコク市内に今でもスラムがある事を知らなかった。
先日、スミタ・カルチャー・センター&プロダクションの住田先生主催のグループ、「コップンマーク」の
スタディーツアーに参加した。
バンコク市内のクロントイスラムとプラティープ財団を訪問した。

行く前に思ったのは、「バンコク市内に未だにスラムなんてあるのか?」ということ。
場所もダウンタウンから遠くない。
着いてみて思ったのは、「ここがスラムだったのか。。。。」
今まで通りすぎていても、そうとは分からなかっただろう。少しガラの悪い地区と思う位で。

プラティープ財団は、1968年に、当時16歳だったプラティープさんが「教育こそが生活を大きく変える原動力になる」と確認し設立した「1日1バーツ学校」を始まりとしている。
1978年にはその活動が認められ、「アジアのノーベル賞」と呼ばれているモン・マグサイサイ賞を受賞。この時の賞金を投じ、プラティープ財団を設立した。

スラム発生の原因は、急激な国の近代化・工業化政策のひずみと言われている。
工業化政策に取り残された農村部の人々が、生活の糧や都会での生活にあこがれて都市へ流入。
安い労働力を求めていたバンコクの経済は、無造作に彼らを受け入れた。
結果、バンコク市内だけで1800か所ものスラムが形成され、300万人以上の人々の住処となった。

スラムには法的・環境、住居・立ち退き・社会・教育・経済・健康など様々な解決すべき問題がある。
プラティープ財団では以下の活動に力を入れて取り組んでいる。

1)教育:教育里親制度、幼稚園、難聴児教育
2)健康:給食プログラム、エイズプロジェクト、化学薬品爆発事故の被災者救援
3)社会福祉:高齢者・障害者プロジェクト、共同体活動、生活協力組合
4)人材育成:「生き直しの学校」プロジェクト、芸術プロジェクト
5)人命・財産の防止対策:クロントイ消防隊

詳細に興味がある方は
http://www.dpf.or.th/
をどうぞ。

次はクロントイスラムとプラティープ財団訪問の写真を載せようと思う。

2009年3月12日木曜日

タイロングステイ日本人の会

タイロングステイ日本人の会の定例会に参加した。
当然かもしれないが、ロングステイをしている方は退職した方が大半だ。
ようやく30に手が届く私には場違いな気がした。

が、楽しかった。
毎回ゲストスピーカーを呼んでの講演があるらしい。
今回は某テレビ局のアジア総局長の「紛争地域での取材体験」。

ソマリアが無政府状態の時に取材に行くと、銃を向けられゲリラにお金を要求された。
幾らか?と聞くと100ドル(安すぎるだろ。。。。)
領収書はもらえるか?と聞くとポカンとされた(普通聞かないだろ。。。)
説明して、その辺の紙に100ドルと書いてくれというと書いてくれた。(結構協力的?)
そのあと勝手に車に荷物を積まれて、積み込み代100ドル要求された(領収書を書いてもらう)
その後、色んな手配・コーディネートを1件100ドルでこのゲリラに頼んだらしい。
一度は彼の家に泊めてもらったとか。3人100ドルで。(このゲリラ、100ドルしか知らないのか?)

他にもロングステイをされている方のお話を聞くと、結構元駐在員が多かった。
中東・アジアを経験されていた方も多く、面白い話が聞けた。
思い込みを訂正されたのは、「ロングステイってお金がないと出来ないものなんだな」ということ。
ある方は1か月50万円位無いと悠々自適の生活は出来ないと言っていた。
日本の田舎に住むより高い。
しかしながら、皆さんを見ていて思ったのは、楽しそうだな、ということ。
実年齢に比べてはるかに元気で活動的で、若いのだ。
80歳になり、会長を辞任した方のあいさつで、
「まだ80なのであと20年くらいはよろしくお願いします」というのがあり得るかも、と思えた位に。

自分の老後を考え直すべきかも知れないと思った。
退職後の日々は私が今想像するより、はるかに長いような気がしてきたから。

2009年3月11日水曜日

シルクは着るだけで体にいい?

タイのシルクは有名だ。
インド系の仕立て屋さんも有名かどうかは謎だか、たくさんある。

20周年記念で50%引きをやっている仕立て屋さんでスーツとシャツを作ってみた。
どうせなので布はシルクカシミヤ、ウール(スーツ)、シャツはシルクで。
タイ生活20年を超える方にこの話をすると、「シルクは着るだけで体にいい」とか。

早速調べてみると。。。
*シルクは人間の肌と同じタンパク質で作られている
*吸湿、放湿、速乾に関しては綿の1.5倍。軽くても高い保湿性を発揮
*18種類のアミノ酸で形成されているので皮膚細胞を活性化させる効果があるらしい。皮膚病軽減や美肌効果も期待できる
*保湿性で静電気をカットする→体がだるい、重いなどの体が帯電していると現れることもある体調の変化を整える
*紫外線をカット→シルクが紫外線を吸収し、それを徐々に発散しながら皮膚の消毒・殺菌をしくれるとか。。。
*毒素排出効果を促す

などの効能が書かれている。素晴らしい!
何よりいいのはアイロンをかけなくても大丈夫ってこと。
先日タイに遊びにきた友人も、この話を聞いてシルクのスカートとパンツを作っていた。
オーダーメイドは最初から自分のサイズで作るのでぴったりサイズを求めて試着を繰り返さなくていいところが便利だ。

2009年3月10日火曜日

下川先生の書き方講座③

先日参加した「下川先生の文章の書き方講座」3回目。
個人添削とともに、参加者の文章全体に対する傾向・対策についてのレクチャーとなった。

指摘点は以下。
*書くことがなくなった時→新しい事を書き加えずに、最初から書きなおす。
*書き出し→「こういう事があった」=本論から始めると、その事について最後まで書きやすい。
      →「何の話で何行」書くかの構成を最初に決め、その中ではそのことだけを書くようにする。
*原稿は3~4つの構成(起承転結)に分けるとわかりやすい。
*「!」マークは多用すると効果がなくなる。400文字なら多くて1個まで。
*話が混乱する・まとまらない場合→嘘を書いてはいけないが、事実を書かない事は許される。
*第三者に読まれた時、「疑問を持たれない書き方」を心がける。
*音・においなどの五感を駆使した表現を入れると文章が生き生きする。
 →読み手に臨場感を持たせる事が出来る。短くてもいいので一つは五感を使った表現を入れる。
*「1行あける」→メールやブログの感覚で開けない方が紙面上は良い。自分の頭の切り替えの為にこれをしない。改行で1文字落としで書いてみる。
*共感できる内容(失敗談・嬉しい話)などの陽が親近感が持たれる。

私がよくやってしまうのは、「書くことがなくなって違う話を付け加える」と、「自分の頭の切り替えの為に改行する」だ。指摘されると、なるほどと思う。次回からはこれを注意だ。

2009年3月5日木曜日

バンコク中華街で金を買う

バンコクの中華街、ヤワラートには金を売る店がたくさんある。
どの店もグラム単価は同じらしい。
今日のレートは1グラム1017バーツとか。

「フア・セン・ヘン」という店(中国語では「行金大興成功和」)は、ヤワラートだけで何店舗もある。
ここの金が最もきれいというのがタイ人の通説らしい。
と、いう訳で金を買いたい友人を連れてヤワラートのフア・セン・ヘンに行ってみた。
(映像はタイで金を買うの写真参照)

店内に入ると冷やかしの客は一人もいない。
皆真剣に売るか買うかの人ばかり。主にタイ人。
本当に「ゴールドってこういう色の事をいうんだな」というような輝きで目がちょっとちかちかする。
雰囲気はジュエリー屋さんというより銀行に近い。
私が入った店の店員は全員おじさんでてきぱきと動いている。
中華街なので中国語が通じるかと思ったが、普通語は通じなかった。

なんだかんだと色々試して、結局友人は30グラムのネックレスを購入。
日本円で9万円弱。23金だ。(22金でも24金でもなく23金は珍しくないだろうか?)
写真を見ていただけるとおわかりになるかと思うが、日本で使ったらちょっと目立つかな~。。。
でも23金の輝きは上品だ。ゴージャスだ。

タイで金を買う