タイの歴史概略:
①先住民時代
4000年以上前からタイにはインド系先住民が住んでいて、農耕文明を築いていた。
先住民族のモン族は6~11世紀に今のタイの中部を中心にドゥヴァラヴァディー国を建国。
北部ではハリプンジャという同じモン族の国があった。
7~14世紀にはマレー半島からタイ南部にシュリーヴィジャヤ国が繁栄していた。
②タイ族の南下
8~9世紀にかけて、中国南部の雲南・四川・広西の山岳地帯に住んでいたタイ族が南下を始め、2~300年かけてチェンライ・チェンマイに流入。
11世紀には多くの小国を建て定住するが、独立はせず、クメール帝国の支配下にあった。
クメール王国のジャヤヴァルマン7世が亡くなると、1220年に一致団結をしてクメール王国に反乱をおこす。
③タイ族最初の王朝
1238年、タイ北部でタイ族のスコータイ王朝がタイ族による最初の統一王朝を建国。
クメール文字を元にタイ文字を生み出したり、テラワーダ仏教を国内に普及させたりした。
④アユタヤ王朝
14世紀半ばにスコータイ王朝を併合。
17世紀には海外貿易も行い、日本から朱印船も来航し、日本人町も作られた。
1767年には度重なるビルマ軍の攻撃にアユタヤはついに陥落。この時に重要な伝統医学書や宗教教義、政府の公式記録のほとんどが失われた。
⑤ラタナコーシン王朝
アユタヤのタクシン王死後、武将チャクリー(ラマ1世)が王位につき、首都をバンコクに移してから今までラタナコーシン王朝が続いている。
ラマ1世は外敵の侵入を防ぐため、堀と城壁で周囲を囲んだ
「ワット・プラケオ」を設立。仏教の法典を整理して仏教王国としての基礎を築く。バンコク最古の寺院ワット・ポーの本堂も設立。
⑥ラマ3世
ワットポー内にわずかに残った古代医学書や様々な種類の文献を集めてタイで最初の大学を設立。
この大学では、タイ伝統医学やパーリー語、仏教教理、占星術、文学、美術などが教えられた。
現在でもワット・ポーにはタイ伝統医学の学校が残っていて、薬草医学の勉強や、タイマッサージの授業や治療を受けることが出来る。
⑦ラマ4世の仏教改革
西欧列強の植民地化を逃れるために、当時、地獄極楽説を信じ、迷信としか言えない奇怪な儀式を行っていた仏教からブッダが説いた本来の合理的で科学的に証明できる仏教に改革した。
この改革が広く定着した後に、鎖国政策から開国に踏み切り近代化を目指した。
この仏教改革によるしっかりとした民族意識とキリスト教に対抗できるほど科学的に整理された仏教で、タイは東南アジアで湯いつの独立を守ることが出来た。
⑧立憲革命
1932年に絶対王政から立憲君主制となり、国王の地位は絶対権力者から国家元首に格下げされた。
立憲革命後、国名をシャムから自由を意味する「タイ」へ変更。
現在でも国王の尊厳は衰えていなく、憲法上、国王は神聖かつ不可侵の元首であり、タイ国軍を統帥する立場にある。
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