2009年4月10日金曜日

国際医療協力ボランティア団体ジャパンハート

国際医療協力ボランティア団体「ジャパンハート」代表の吉岡秀人先生のセミナーに行ってきた。
ブータンから戻った翌日の歓迎夕食会にも混ぜてもらい、個人的にお話を伺う事も出来た。

ジャパンハートの活動詳細は
http://www.japanheart.org/index.html
吉岡先生のブログもHPから入れるが、直接は以下を参照。
http://japanheart.exblog.jp/

セミナー内容要約は以下。

1)なぜミャンマーなのか?
→1995年、戦後50年目に吉岡先生は初ミャンマー入り。戦前は「食べられること=豊かさ」だった。ミャンマーは以前、アジア一豊かな国だった。だが何度か訪問を繰り返すうちに、多くのミャンマー人が医療を受けられていない事を実感する。
→インパール戦に参加した人たち(九州出身者が多かったらしい)から、資金を出すのでミャンマーで医療活動をしてほしいという要請が来た。
→一緒に現地を訪問し、ミャンマーの地で亡くなった夫に向い手を合わせて祈るおばあちゃんの姿を見て、何だか亡くなった方も浮かばれたような気にさせられた。そのまま、なぜここで?と思いながら医療活動を続けた。そのうちだんだん理由がわかってきた。
→活動中、戦争体験者の老人たちが先生を訪ねてきた。当時イギリスの植民地だったミャンマー人が傷ついた日本兵を匿ってくれていた事実を知る。
→そのように助けられ、生き延びた日本人が帰国後日本を復興させた。その歴史の延長上に自分はいるのだということに気がついた。
→親族をミャンマーで亡くした日本人にとっては、家族が溶けてなくなったミャンマーの土地、そこの人たちは家族と同じ意味をもつ存在だという事に気がついた。

2)ミャンマーでの活動は、現代医療の技術をもって日本の過去にタイムトリップしているような気持ち。
→戦時中、医療を受けられずに亡くなっていった日本人の痛恨を今のミャンマー人から同じように感じる。
→95年当時、ミャンマーに行った時は多くの人にものすごい反対を受けた。今は
 保健=少ないお金で多くの人を助ける
 医療=大金で少数しか助けられない
 のうち、保健活動が主流になっている。だか吉岡先生がやろうとした事は、「医療」だった。
→本当に正しいかどうかは、10年、20年単位で物事を見ないと分からない。今思うのは、これだけ多くの人が集まってくれているという事実が、やってきたことが正しかったという証明だと思う。


質疑応答で、私たちがジャパンハートの活動を支援したい場合はどうすれば良いのか?との質問。
吉岡先生は、「一度に大金を寄付するのではなく、会員になっていただき細く長い支援を続けていただく事が長期的にみた場合、一番役に立つ」との事。
HPから会員申し込み手続きなどのやり方も探せるので、興味のある方はどうぞ。

最後に吉岡先生に「ブータンにも活動の場を広げる予定はありますか?」と打診。
「ブータンは入れるんですか?入れるのならどこでも行きますよ」とのこと。

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