2009年4月10日金曜日

津川氏の資料④

以下も津川氏から頂いた資料。



貧しさは不幸なことか
-ブータンの開発から考える-
津川 智明
1. はじめに
 「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」渡辺京二『逝きし世の面影』p127にこの言葉を見つけた。江戸時代末期に日本を訪れた外国人が当時の日本を旅して描写した一文である。当時、惨めで非人間的形態の「貧困」が蔓延していたヨーロッパに比較して日本の「貧乏」は人間らしい満ち足りた生活と両立していると、この外国人は感銘と驚きをもって記した。
 私はこれまで、通算9年以上、ヒマラヤ山中の小国ブータンで暮らした。ブータンの一人当たりGDPは835米ドル(2004年3月現在)、国連開発計画の発表する人間開発指数は142位、農業人口は全体の85パーセント、いわゆる発展途上国であり「貧しい」国の一つである。「貧しさ」を改善しようとブータン政府は多くの援助機関に対し技術協力や資金協力を依頼している。かくいう私が通算9年という年月をブータンで過ごしたのもブータンの「貧しさ」を何とか改善したいとする側の一員としてであった。
 私が始めてブータンに足を踏み入れたのは1983年、国連ボランティアとしてである。当時のブータンは今以上に貧しかった。援助関係の外国人は少なく、その中で日本人は私を含めて3人しかいなかった。一人はコロンボプランの専門家の西岡京治氏であり、もう一人はチベット仏教の研究者の今枝由郎氏であった。当時、インフラは未整備の状況で、電気は主な町にのみ夜間に数時間の時間配電であった。電話は国内でさえも交換手を通して限られた町だけに通話可能であった。主要幹線道路はできていたが舗装道路は限られており、車を見ただけで誰が所有者か判るくらい台数は少なかった。その頃ブータンへの入国手段は、インドからの陸路だけであったが、1983年にパロとカルカッタとの間で、18人乗りのプロペラ飛行機が就航した。
 当時は90%以上の国民が農民であり、残りは公務員で、それ以外の職業についている人は少なかった。人々の生活は自給自足に近かった。農業は機械化されていなかったせいもあり、近所の農民同士の共同作業が主流であった。農民の現金収入は少なく、従ってお金で物を買うということはかなり限られていたため、生活は貧しかったが不幸とは見えなかった。立派な家に住み、十分な食生活ができ、衣類に関しては女性たちが家で家族の着るものは織っていたからである。
 過去数十年間に亘りブータンへの開発援助の主な目的となっている貧困削減の「貧困」に注目し、「貧困とはなにを指しているのか」「貧しさは不幸なこと」と言えるのだろうかという疑問をブータンの開発を通して考えてみたい。

2.ブータンの開発理念
 ブータンの開発理念は、GNH(国民総幸福度:Gross National Happiness)である。これは、第4代国王が1976年に唱えた考え方で、GNP(国民総生産:Gross National Product)に対比したものである。GNHを分かりやすく言えば、「国の開発目標は人々の生活の物質的な豊かさを目指すよりも人々の幸せにより重きを置く」というものである。
GNHについてのブータン政府の説明は次の4本柱に要約される。(1)バランスの取れた開発、(2)環境保護、(3)文化高揚、(4)良い統治、である。(1)については、自然破壊をできるだけ抑えながらゆっくりした開発を目指している。(2)については、自然環境を大切にすること。特に森林伐採については細かな規定を定めて厳しく取り締まっている。(3)についてはブータンの文化を大切に保存すること。例えば、ブータンの国語(ゾンカ語)の普及に力を入れたり、伝統的な礼儀作法を堅持していくための教育を取り入れたり、伝統建築様式を維持しようと努力をしている。(4)については、効率性、透明性を重視した政府の確立と地方行政の充実、さらに地方分権化の促進である。
 国王のいう「物質的な豊かさより、幸せを実感できる社会」は、聞こえはいい。しかし、幸せの定義は人により千差万別であるから、共通の定義はむずかしい。ましては、幸せを測る指標を示せといわれると回答に窮する。ブータンの公的な研究機関であるThe Center for Bhutan StudiesはGNHを測る指標として次の9つを提案している。
① The standard of living
② Health of the population
③ Education
④ Ecosystem vitality and diversity
⑤ Cultural vitality diversity
⑥ Time use and balance
⑦ Good governance
⑧ Community vitality
⑨ Emotional well being
 これらの指標に従って評価し、評価値が高ければいわゆるGNHが高いといえる。これからわかるように、ブータンのGNHに基づく国家社会造りとは、個々人の物質的豊かさを求めるよりも、社会全体としての生活環境改善、言うならば人と人との関係を重視し精神的にも充実した満足感を得られるような社会の実現を目指しているといえる。

3. 貧困とは、なにを指しているのか
 GNHの柱の一つである「バランスのとれた開発」は、周りの国々の開発を見ながらゆっくりとした開発を目指すことを意味している。そこで目指してきたのは、社会的貧困(例えばインフラ、教育、医療の未整備、文化、自然環境の破壊、ゆとりのない生活、地域の人々の助け合いがなされない社会等)の改善であり、決して個々人の経済的な貧しさの改善ではない。
 近代化を開始した1970年代から90年代にかけて、ブータン政府は幹線道路の整備、全国通信網の整備、地方電化の整備を行いインフラ整備に取り組んできた。最近は地方農道の建設を積極的に行っている。教育や医療分野においてもサービスは全国津々浦々に着々と行き渡りつつある。
 30年をかけてゆっくりと、社会のインフラ面および教育、医療等の福祉の分野も改善されてきた。1980年代になると地方分権化政策もはじまった。 “地域の開発はその地域の住民の手で”という政策のもと、2008年からは地域への交付金(block grant)を地方行政体に交付して、住民自身に地域開発の権限と責任を持たせるやり方を取ろうとしている。  私自身、JICAの地方行政支援プロジェクトの専門家として、2004年10月から2006年10月までブータンで活動した。地方分権化促進に伴い地方の開発を地方行政体で実施するようになれば、インフラ整備のスピードは中央政府がリードするよりゆっくりとなるが、将来的には地域住民の手でなされたほうが経済的にもメンテナンスの面からも大きな効果があるといえる。
 冒頭の「貧乏人は存在するが貧困はなるものは存在しない」の「貧乏人」とは個々人の生活レベルにおける貧しさを示しており、「貧困」とは社会的住み難さを言い表しているとすれば、ブータンのGNHの考え方は、貧困の改善を目指していると理解できる。
 ちなみに、ブータンの開発理念であるGNHについては、国際的な注目が集まり、2004年にはブータンで国際会議が初めて開催され、2005年にはカナダで第2回の会議が開催された。

4.貧しさは不幸なことか
個々人の生活が豊かになれば、延いてはそれが社会全体の安定と幸福につながるという、歴史的な経験則がある。その結果、GDPの増加は為政者が国を運営していく上で最重要事項と考えられてきたし、貧困削減を旗印に「先進国」が「発展途上国」に援助を実施している理由の一つのもこのような経験則を受けての事である。
 しかし、長年に亘る援助にもかかわらず、なかなか被援助国の状況に改善が見られないことや、先進国において豊かさを手にした人々が必ずしも「幸せを実感していない」現状をみて、「個人の生活が豊かになれば、社会全体の幸福度は増す」というこれまでの経験則への疑問が湧いてくる。さらにいえば、貧しさはこれまで惨めなことと捉えられてきたが、果たして貧しさは不幸なことなのかという問いを、江戸末期の日本やブータンの生活を見るにつけ再考する必要があると思う。なぜなら、私は20年来ブータン人の生活を見てきたが、裕福ではないが不幸とは決して思えなかったし、ブータン人の逞しい生活の仕方、屈託のない子供たちの笑顔から、豊かさは実感できる。友人家族の家に遊びに行ったときも彼らの生活が幸せそう思えたのである。

5.おわりに
 私が始めてブータンに足を踏み入れてから今日までの20年の間に、ブータンは大きく様変わりした。滞在している日本人数は100名近くに増え、国連関係、JICA関係、民間の仕事、結婚されている方、研究で滞在されている方と様々な立場で暮らしている。首都ティンプーの町は駐車場を探すのが難しいくらい車の数が増えた。頻繁にあった停電や電圧変動は大規模な水力発電所の建設で改善された。また、ここ2~3年で急速に普及し、国際電話も可能であり、インターネットカフェもいくつか出来た。オフィスにはパソコンが置かれ、コンピュータなしでは仕事ができないほど普及している。航空路はタイのバンコクやインドのニューデリーと結ばれている。2004年末には130人乗りのジェット機も導入され観光客が大幅に増えたし、タイからの輸入物資が急激に増えている。
 経済的に発展するに従い、人々の貧富の差は広がっているようである。また、若者の地方から町への移動も顕著になってきている。町へ移動してきた若者の就業機会があればいいが、なかなか仕事にありつけないの状況も見られるようになった。
 政治、経済、社会のどの分野でも国際的な大きな流れに、ブータンも飲み込まれつつある。世界の急速な変化の中にありながら、ブータンはGNHを国の道しるべとして標榜し、仏教を精神的な支えとして、精神面と物質面でのバランスの取れた国造りに取り組んでいる。ブータンの「貧困」は政府と人々の努力で改善され、「貧しさ」はそれを惨めとは感じない。ブータンを訪れる外国人に、「人々の生活は貧しいが決して貧困ではない」といわしめるのがGNHの目指すところであろう。
 ブータンは2008年に初の憲法が発布され、これまで100年続いた君主政治から立憲議会制に移行する。その憲法第9条にGNHについて明記されている。
   以上

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