2009年4月10日金曜日

津川氏の資料③

津川氏から頂いた資料。
第5代国王殿下の戴冠式でのスピーチもあります。


2008年12月8日
津川 智明

第5代ブータン国王の戴冠式および王制100周年記念式典に参加して

歴史的瞬間を体験するのは大変でした。戴冠式の行われた4日間、全国から新国王に直接お目にかかりお祝いのカダ(白いスカーフ)を手渡したいと希望する国民で首都ティンプーはあふれんばかりでした。あるブータン人はこんなに沢山の人を見たことはないと話していました。私も、何万人のなかの一人として初日、二日と式典会場へ入場を試みましたが入れませんでした。4日目、これまでの苦い経験を活かし会場に6時過ぎに到着。入場は叶いましたが、早朝は寒さを、日が差し始めてからは日差しをじっと我慢しながらスタンドに座り続け、国王へ直接お会いすることを願いました。私は、幸運にも午後3時半にカダをお渡しし、たった一言ですが祝辞を述べることができました。早朝から会場に来ていた大勢の人々は、遠目には拝見することはできましたが、4分の3の人々は不運にもお会いすることなく会場を立ち去ることになりました。
国民一人ひとりに丁寧に接してくださる新国王を見ながら、こうあるべきだとは思いながらも、大勢の人々には時間的、物理的な制約からそのチャンスがもたらされなかったことに対し申し訳なさは残りました。
何がブータン国民をここまで突き動かすのでしょうか。これほど尊敬され慕われる国王の存在というはどのように理解すればいいのでしょうか。一人の人間である国王とはなんなのでしょうか。9時間、寒さと暑い日差しのなかでじっと待ちながら、なぜ自分はここでこうして国王にお会いすることを願っているのか自問していました。お陰で、顔は赤く黒く焼けるし、額から鼻にかけて皮が剥け、唇はかさかさになってしまいました。
帰り道、国王にお会いできたことの幸福感で満たされていました。理解できないなにかが私に働いたようです。

式典ではいろいろなパーフォーマンスが披露されました。その中にネパールダンスとチベットダンスが含まれていました。彼らの嬉々とした笑顔を見て、私は異なる民族と文化の共生の大切さを思いながら、ブータン政府の配慮に拍手を送りました。

式典の数日後、ティンプーとパロの間にある小さな谷間を奥深く歩く機会がありました。かなり辺鄙なその辺りの家々も国旗を飾って戴冠式と王制100周年を祝っていたことに強い感動を覚えました。

以下、11月7日戴冠式での第5代His Majesty the King, Jigme Kehsar Namgyel Wangchuckのスピーチです。

今日、この神聖なる良き日に大勢の国民と一同に集い祝えることは大きな喜びである。これまで過去100年にわたり、私達の先祖が願い夢みたこと、そして先代の国王が求めてきたことがここに実現された。賢明で献身的なこれまでの国王と、何代にも渡り自己を犠牲にしながら懸命に働いてきた国民と、さらに国民と国王の信頼に基づいた強固な絆により、今日のすばらしい国が創られた。ブータンは地球の宝石と表してもいい。

2年前、それはとても大きな変化であったが、私は若輩にもかかわらず王位を継承した。
それ以降、皆は私を信頼しすべてを捧げて協力してくれた。2年間という短い期間で、これからの国創りにとって非常に重要となる基礎を作り上げた。しかも、それは平穏のうちに皆が協力し合いながら計画通りに成し遂げられた。これまでの歴史上先例のない、国家にとり最も重大な民主化への移行が成功裏になされたことを誇りに思う。 

 いろいろなことが大きく変わりつつあるこのときに、あらゆるものに対する新たな挑戦やチャンスがもたらされるが、私たちがどのような仕事をしようと、どのような目標を持とうと、また、いかに変わりつつある世界の中でそれらがなされようと、平和と安全と幸福なくしては何ももたらされないことを忘れてはならない。これがGNHの核心である。我々の最終のゴールは、我々の平和と幸福であり、国の安全と主権の維持である。

我々は今日、先祖からよく統一され活気にあふれた国家をもたらしてもらった。先祖のこれまでなしてきた轍を踏みつつ、国のために献身的に働けば、さらなる平和と幸福と繁栄がもたらされるであろうことを確信する。

私は国民の重要さと国民性を良く知っている。皆は国の宝である。精神文化を大切にする国民だからこそ、皆は良き人間としての資質を尊ぶ。それは正直であり、親切であり、慈悲であり、誠実であり、調和であり、我々の文化と伝統を尊ぶことである。さらに国と神を敬うことである。
これまで長い歴史において、我々の祖先はこれらの価値を大切にし、当然なこととして持ち続けてきた。

世界が変化するなかで、我々の民族と国家の拠りどころであるこれらの大事な価値観が失われていくのではないかということを一番心配している。これまでの過去とこれからの未来永劫においてブータン人として国民性を保ち続けることは重要なことである。現在は初代国王のときと比べると非常に変化している。しかし、国民の性格や基本的価値観は変わっていない。今後、世界やわが国がもっと大きな変化を遂げようと、我々が良き国民であり続けるという唯一で永遠の目標をかかげ、また良き国家を創る努力を続けるなら、これから100年にわたり次世代の国民は幸せで平和を享受できると確信する。

皆にこれらを願うのは私が国王だからではない。ここにいるのは私の運命である。この若さで、すばらしい国民と国家に奉仕できることは非常な喜びである。私の在位期間、私は国王として君臨はしようとは思わない。私は親のように皆を守り、兄弟のように皆を世話し、子供のように皆に使えよう。私は皆のためにすべてを捧げよう。私は子供たちの手本となるような人間として生きていく。私の目標は国民の希望と願いを叶えることである。私は親切心、正義心、そして平等心をもって昼夜を問わず国民のために働くつもりである。

私の仕事は、仏教を信仰する国の国王として、国民の幸福を保証するだけでなく、精神的な所作から得られる果実と、良き業(Karma)を得るために必要となる肥沃な土地を造り出すことである。

これが国王としての私の任務である。

私は特に重要な役割を担う若者について最後に語りたい。わが国の将来は、今日の子供たちの真の価値、才能そしてやる気にかかっている。ゆえに、私は若者に感動と知識と技術をあたえるために全力を注ぐつもりである。これらは若者自身の願いを叶えるだけでなく国にとっても大きな財産となる。これは私にとって重要な仕事である。将来の確固たる目標を持っているブータンだからこそ輝かしい未来が約束される。

未来は見ることもできず未知の世界である。それは我々が創造していくものである。
今日、我々のこの手で何をなすかによって将来の国の姿が形作られる。子供たちの明日は今日の我々によって創られる。
私は平和と幸福の光が永遠に我々に降り注ぐようブータンのために祈る。私はヒマラヤの小国の国王ではあるが、私の在位期間をとおして、世界中の人々はもとより、すべての生きとし生ける物に大きな幸福がもたらされるように祈ろう。

Tashi Delek

0 件のコメント:

コメントを投稿